【社長通信】思えば遠くへ来たもんだ(PART-2)
2月に入り厳しい寒さの中、感染力の強いオミクロン株が猛威をふるう。それに加えて近年にない大雪が東日本を襲い日常の暮らしに混乱をもたらしている。そんな中でもわが社の業務は「寒中忙あり」で、黙々と職責を果たす社員の姿に元気をもらう。
(前号つづき)
さて、世の中には「捨てる神あれば拾う神あり」との諺がある。その諺通りのようなことが私の身に起きた。
小さな出版社にて精魂込めて練り上げた初の企画がボツになった。その失意の中に、この企画を生かしたいとの申し出が大手出版社からあった。ここは編集者としてまたとないチャンスと受け止め身震いしながらお受けした。
全20巻の昔話全集で、2人の編集委員と各20人の作家、挿絵画家の理解と協力を得て取り組んだ。勤務しながらの片手間では無理な大仕事、編集プロダクションを設立し独立した。28歳の春だった。
住まいとしていたマンションを事務所と兼ねて、アルバイトを含むスタッフ3人でのスタートだった。
この全集の発行は契約から1年後ということで原稿の締め切りは6カ月後とした。企画の段階から執筆者からは理解を得ていたので、入稿、割付、出稿、校正と編集作業もスムーズに進み予定通りの発行となった。初めての編集請負の大仕事ではあったが、編集委員や執筆者もこの企画の趣旨を理解してくれ、意に添う原稿がいただけた。これも版元となる出版社の信用があってこそと、この縁に深く感動したのであった。
第2弾として取り組んだのは小学生向けの伝記だった。
当時の書籍・出版物は本の卸売業者にあたる日販や東販などの取次店が全国の書店に配本するルートと学校や職場に販売員が訪問して直接販売するルートがあった。特に学参物といわれる参考書や子供向けの読み物などの分野はこの直販ルートが大きなウエートを占めていた。前述の昔話の全集も関西を地盤とする大手販売会社の扱いで事前の予約販売もあり間もなく売り切ったとのこと。
「好事魔多し」との諺を、身をもって体験した。
関東に基盤をもつ直販会社からの提案で看護師さん向けの専門性を踏まえた教養書的な書籍「にんげんかんご」全7巻を自社出版物として発行した。
病気や治療、身心の健康まで人間にかかわるさまざまな問題について、看護の視点からまとめた全集です。各専門分野にわたる執筆者はそれぞれに多忙で原稿の入手には四苦八苦した。それまでの私は原稿取りでは一目置かれる存在だったのだが。
締め切り後の最終原稿は筆者から直の連絡で横浜のホテルで原稿を受け取り、その後中華街でご馳走になりながら激励の言葉をいただいた。忘れられない記憶である。
原稿が書き上がり次第、昼夜なく受け取りにあがり、原稿の整理、割付等をして印刷所への入稿という作業が2年にわたった。
印刷、製本と進みようやく先が見えてきた時にアクシデント。
印刷会社が倒産したのだ。
前払いで支払っていた小社の手形(総額4、000万円)を持った各債権者が事務所に殺到。そのなかに高名な高利貸しがいて、連日連夜、入れ替わり立ち代わりの強引な催促。
破産処理に当たる管財人の相手にするなとの助言により、なんとかしのいできたが生きた心地がしなかった。
最終的に小社の手形を持つ金融機関6行が私に現状と今後の見通しを述べる機会を設けてくれた。
「予約販売もありこの全集が出来次第販売代金が入いる。追加の印刷費も含めて全て支払える。このままではお手上げ、迷惑をかけてしまう。命がけで取り組むのでその機会をください」と懇願した。
銀行団は高利貸しの持ち分2、000万円は決済し残りの手形は切り直してくれた。私は救われた。半年後、残務整理の後会社を清算して、東京を後にした。
(つづく)
代表取締役 加藤慶昭 (2月14日記す)