ご機嫌
先日、歳が半分程の友人がポツリと言いました。
「自分の機嫌は自分でとらなきゃと思うんですよね。」
心から自然に出た言葉だったので、ギョッとしました。
それを他人や恋愛に求めるから、おかしなことになるのだと。
あまりの深さに、絶賛してしまいました。
エネルギーのコントロールドラマについて知ったのは、彼女くらいの歳の頃だったかもしれません。
『聖なる予言』という小説を読んでのことでした。
私たちは、生きる為に必要なエネルギーを食べものから得たり自然から受け取ったり自分で作ったりします。
人から貰うこともある訳で、それ自体は悪いことではありません。
でも時に無自覚に、人を支配して相手のエネルギーを奪うことがあります。
本では次のように、大きく4つのタイプで説明しています(ざっくりご紹介)。
・脅迫者…攻撃的な態度で周囲を威圧して奪う。
・被害者…あなたのせいでこんなひどい目にあっていると、相手に罪悪感を抱かせ気にかけさせて奪う。
・尋問者…相手を尋問・批判して奪う。
・傍観者…曖昧な態度や無関心なふりで、相手の注意を引いて奪う。
あの人と会うと何故か疲れる、なんて経験はありませんか?
これはお決まりのドラマだ、エネルギーゲームだと思って身の回りで起こる出来事を見てみると、他人のエネルギーを吸い取っている人が結構いるものです。
吸い取ったエネルギーで自分の機嫌を維持しているのでしょう。
それに気付いたら、巻き込まれないようにそっと降りましょうね。
機嫌という漢字の起源が気になって調べてみました。
古くは「譏嫌」と書く仏教の戒律から来ているのですね。
譏は「そしる」、嫌は「きらう」。
「息世譏嫌戒(そくせきげんかい)」といって、お坊さんが世間から“そしりきらわれること”、機嫌悪く思われることを息(や)めさせる戒めだったそうです。
お釈迦さまの時代、お坊さんは修行に専念するため労働は禁止、生活面はお布施に頼らなければなりません。
常に世間から尊敬される存在であるように、気を遣いました。
贅沢をしない、酔ってだらしなくならないようお酒を飲まない、臭気で修行を妨げないようニラ・ニンニクなどは食べない…など、不愉快な思われ方をしないための慎みが、譏嫌の戒めです。
後に「機嫌」という漢字が使われ、現在の意味になりました。
そういえば、前にアナウンサーの方の講座を受けたとき、印象に残っているお話があります。
「仕事柄色んな方にインタビューさせていただくけれど、一流の方に共通しているのは『いつもご機嫌』だということです。」
仏教の戒律を知って、更に納得しました。
ご機嫌だからこそ、尊敬され、支持を得て、一流で在り続ける。
『いつもご機嫌』で居られるよう、ご自分を律して努力しておられるのでしょうね。
今日は、ケアに来てくださった方に手作りランチ。
とても喜んでくださってご機嫌です。