独りよがり(独善)の超克
自説への固執、執着を手放し、日々新たな自分を生きるためには 独りよがりな気付き(妄想)から解放される必要があります。それは他者と共感し響きあう(詩である)ためには大事な要素となります。
下図は「切れ」が創造した「新しみ」は文化的記憶・伝統的連想(それは神話・個人的、あるいは民族的集合意識と言えるのかもしれません。)に照らし合わせて吟味される必要を示しています。
温故知新の勧め、「階」の妙と言えるのでしょうか?
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/32478563 【俳句は感情重視・現実主義】
「切れ」が創造する「新しみ」とは??集合無意識(カオス・虚空)から切り取られた光景との出会を意味するのではないでしょうか。
光景との出会いは一期一会と言えそうです。
独りよがりの罠嵌らないためには自己一致が大事になります。下記記事をご参照ください。
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//ko-su_ri-da-yousei.html 【リーダー養成コース】
http://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm//ennkaunnta-guru-pu.htm 【「ジョハリの窓」の項】
https://www.sankeibiz.jp/express/news/140424/exg1404241522004-n1.HTM【【中塚翠涛 ココロのかたち】一期一会 今日の景色、今日の自分との出会い】 より
≪心豊かに、気持ち明るく≫
読者の皆さま、はじめまして。中塚翠涛です。今月から月に1回、「ココロのかたち」というテーマでこちらのページを担当させていただくことになりました。
私の作品を紹介させていただきながら、その言葉にまつわる自分なりの思いをお伝えしたいと思います。
第1回の作品には「一期一会」を選びました。
これが皆さまと私の初めての出会いの場ですね。
私は旅が好きで、行く先々での景色や人との出会いは二度と訪れない大切な時間です。以前、モルディブを訪れた時のこと。雲が好きな私は、桟橋や海辺で日がな一日空を見上げていましたが、ふと、雲がアラビア文字のように見えてきました。雲と文字が自分の中でリンクするのを感じながら、自然から生まれてくるものの美しさを自分の作品制作に生かしていきたいと感じました。
同じシチュエーションはない
雲の形も、波の形も、次に見た時には一瞬で、その形を変えて自由に流れています。
例えば、同じ人に会ったとしても、同じシチュエーションや、同じ心境で会えることはないのです。時間や空間も違えば、境遇も昨日と今日では同じではありません。今日の景色、今日の自分との出会い、毎日が「一期一会」。どんな出会いも、常に一生に一度の出会いと思って、丁寧に過ごしたいですね。
最近の自然災害や、3年前の東日本大震災のこともあって、「明日何が起きるか分からない」と考えている方は多いのではないでしょうか。不安ももちろんありますが、だからこそ、一瞬一瞬を前向きに明るく生きたいと思っています。
「嫌なこともあるよ」「落ち込む日だってあるよ」という皆さまの声が聞こえてきます。そうですよね。私にもあります。
でも、ちょっとした方法で気持ちを変えることができます。それは、小さな「ときめき」を見つけること。「小さな一期一会探し」とでもいいますか…。
木漏れ日が心地よく暖かくて、春気分になりました。先日、ニューヨークから帰ってきたのですが、満開の桜は見られないなと思っていたんです。確かに満開ではありませんでしたが、とってもきれいな葉桜が見えました。桜って、見ていて他のお花にはない喜びがあると思います。
≪春を喜び、美しさに魅せられ≫
ご存知の方も多いと思いますが、在原業平の和歌に、
「世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
というものがあります。
散っていく葉桜を眺めると、この歌が思い出されます。桜は、とても短い間に開花して散ってしまいます。もしその桜が無ければ、その動向に心がそわそわすることもないでしょう。
けれども、有るからこそ咲き始めに春を喜び、満開の花の美しさに魅せられ、葉桜の散っていくさまにも、奇麗だなぁと幸せを感じることが出来るのではないでしょうか。
これが、小さなときめき、花と私の一期一会です。
「忙しいのに花なんか見てられないよ」と思う方もいらっしゃいますよね。私は、そういう時こそ意識するようにしています。見て、感じて、自分自身の気持ちが明るくなって。また次の仕事にむかって頑張ることができるのだと思います。
明日はどんな一期一会が待っているのでしょうか?(談)