人との間で繰り返される不本意なパターンがあるとき
人との間で繰り返される不本意なパターンがあるとき。
最悪なのは、自分が悪いって自分を責めて、自分の生命力を抑圧していくことか、相手が悪いと責めて相手の生命力を抑圧していくこと。そんなことは一切しなくていい。のびのびとした生命力を、懲罰によって押さえられていい理由なんてどこにもない。
ということで、近年世間でよくいわれているのは、相手は変わらないから、自分を変えよう、というもの。おおざっぱにはいい線行ってるとらえ方だと僕は思います。
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ただ、自分を変えるというのはうっかりすると、自分を否定して抑圧するっていう、最初に書いたパターンの変形版になっちゃうときがあるので要注意です。
そうじゃなくて、自分は何を望んでいるのか、ということにしっかりつながって、そこから行動していくように変える。つまり自分でないものに変わるんじゃなくて、よりほんとうの自分になっていく。
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でね、ここに責任を持てるようになってくると、精神的な自立が進むわけなのですけれど、ある程度こんな風にできてる上で、ある人との間で繰り返される不本意なパターンがあるとき。
これは実はよく考える必要があるところで。
まず大きな分かれ道として、「相手と関わり続けるのか、相手と距離を置くのか」があります。
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そして距離を置く方向に進んだら、こっちは自立した個人として一人で幸せなっていくだろうし、それでもあえてふたたびその人と関係が深まるには、家族や夫婦のようなつながりがあって大病とか何か大きな外的要因がないと難しくなっていくと思います。
たとえば近年、精神的な自立が進んだ夫婦はかなりの確率で離婚しています。
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関わり続ける方向に進むなら、自分の感情とその奥にある願い、相手の感情とその奥にある願いを、とことんしつこく語ってしつこく聞いていく、ということで関係性は改善する可能性を残せます。
「私はこのことについて悲しいし、それはこんな事を大切にしたいからなんだけれど、これを聴いてどう感じる?」「そんな風に怒るのは、これこれこういう事を大切にしたい、大切にされたいからっていう理解で合ってる?」って。
できれば、こんなふうに真実を分かち合うコミュニケーションを続けていこう、と握り合えてたらかなりいい。
人との関係性でこそ満たされるニーズというものはある。その満たされなさを自分だけの問題として「自立した人として」解消しようとすると、つながりがなくなっていっちゃうということなんですよね。
そのニーズと、自立のバランスが、なかなか絶妙なラインだなあと思います。
この辺はこれからももっとことばで表現していきたいんだよな〜。
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