最近のことをふまえて。
岡本太郎、嫌われる勇気、そしてブレードランナー。
加賀での街づくりの経験、議員インターンと、カフェとコミュニティに関するモノゴト。
様々な刺激と経験を基盤とした上で、自分なりの生き方の方向性のようなものが見えてきたような気がする。あくまでも、20歳の自分なりに出した答え、ではあるが。
小泉純一郎の「人生それぞれ。」発言。
彼がその時本質を突いていたのかは分からないが、まさに人間というのはそれぞれなのだろう。
僕は、人生とは「自分を知ること、そしてもっとも自分の個性を発揮できる場で自分を表現し続けること。」だとおもう。
2001年宇宙の旅、あの映画で人類はデザインの発端を知ることが出来た。
最初の猿が骨を持つシーン。二足歩行になったことで手が使えるようになり、手が器用になり、武器を使い、火を起こせるようになった。
ブレードランナー、あの映画によって人類は人間とは何かを再確認させられたのだと思う。
人類はDNA以上の生物学的な行動ができる動物だ。それは認知革命が起きたことによるもの。高度な言葉を操るようになり、言葉によって文化、そして文明を残して行った。
もうすぐシンギュラリティがくる。人類はまた大きな革命を迎えることになる。
その時に、僕たち人間は、今のようにレールの上で生きるような考え方でいてもいいのか?
それだと多分やばい。今まで考えられないことがどんどん起きる。
未来を予測することはできない。それはSF映画が示してくれてる。だけど、これから訪れる未来のために、僕たち人間は「人間とは何か。人間とはどうあるべきか?」を再確認することはできるのだ。そんなことをブレードランナーで学んだ気がする。
1980年代、2001年宇宙の旅を見た人たちは、デザインの思考法の大切さ(いままで気にしなかったことに目を向けて、そこにある価値を再発見する)を知った。IDEO、dschoolなどデザインシンキングが広まり、さらに日本でも地方創生の街おこしがまさにデザイナーの考え方と一致し、ブームとなっている。
2017年、ブレードランナーを見た我々は、もっと大きな視野でデザインの思考をしなければならくなった。(いままでは気にしなかった、人間とは何かという問いを考え直し、人間の魅力を再発見する)禅、マインドフルネス、健康、幸福度。このような言葉がはやるのもこれの影響だろう。序盤戦という感じか。
では、人間はどうあるべきなのか。
岡本太郎、そして松下幸之助から学んだことに、アドラーの考えを踏まえていく。
AIが登場し、ホモ・サピエンスが進化したホモデウスなども生まれてくる。
倫理的な許されるのかという議論がこれから政治含めメディアなどでも取り上げられる。
その中で、人間は何を考え、何をしながら生きるのがいいのだろうか。
ある人は言う。「幸福な人生を目指したい」
幸福。しかし、そうなると、薬を摂取して幸せな「気持ち」にしてくれる注射ばかりとって幸せになっても、それは「幸せな人生」になってしまう。
よくある話だが、カプセルの中で一回も目を覚まさずに、夢の中で幸せに生きる人生が許されるかどうか。僕はこんなんだったら一番いいタイミングで安楽死した方がいい。現実に生きたい。現実に生きるかカプセルに生きるか、選べるならいいかもだけど。
やっぱり、僕たちは、自分のことをもっとも知ることができ、知りながら自分がもっとも個性を出せるば、環境で仕事や自分を表現できるのがいいと思う。
大企業に入って自分さがしもありだし、起業するのも、アーティストになるのも、その時自分が一番いい方向だと思える道に進め、全力で生きられるような環境。これこそが最強だ。
現代は、
自分のことを知ることができていない。ただ流れに身をまかせる仕組みになってしまっている。また、大企業へ行くのが主流なのもまだ現状だ。様々な障壁がたくさんのこる。
そこで、将来的には政治を変えたい。より新しい世界に適した国にしたい。
そしていま何するべきか。そこで僕は、新しい時代を切り開く人として、アーティストとしてカフェを開きたいと思う。
それが、MOSMなのだ。
僕の美術館。僕が最大限に個性を磨き、表現できる場。人と人が繋がりより多くの人と対話することで、外部的に自分のことを知ることもできる。
そして、「自分を知ること、自分を表現すること」が、恥ずかしくなく、これからは普通になるんだと言うことを、もっと広めたい。
人を助けることで、自分は自己実現欲求が満たされる。
家族のため、組織のために生きることで、自分の欲求は満たされる。
昔の切腹だって、ただ腹を切る自殺、という意味だけじゃなかったはずだ。いろんな思いがあっての切腹という文化だったはずだ。
ただ、人を殺し始めることが、その人にとって幸福、という人が出てきてしまうと、これは破綻する。そんな人、いるはずない!そう言える世の中にならないかな。