「宇田川源流」【土曜日のエロ】 日本における混浴の文化を守るための秘密兵器「湯あみ着」
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 日本における混浴の文化を守るための秘密兵器「湯あみ着」
今週も「土曜日のエロ」の日になった。本当にエロのニュースは少なくない。ある意味で、人間の欲望の中で最も正直な者がこれなんだなと思うのである。つまり「土曜日のエロ」は「人間の欲望」と「人間本来の姿」を書いているブログであり、ある意味で、その内容を最も下品に表したものに過ぎないのではないかと考えているのである。物事のニュースというのは必ず建前と本音の部分が出てくる。例えば殺人事件というような事件がある。もちろん人殺しをした人が最も悪いのであろうが、しかし、中には「殺さなければならない状況に追い込まれた」というような場合もあるのだ。常に事件には動機がありその動機を作った事情が存在する。祖の内容を考えるにあたっては、「人間の本来の姿」を知る必要があるのではないか。
さて、その意味も含めて今週のニュースといえば、間違いなく「ロシア軍のウクライナ侵攻」であろう。実はいろいろとすらベているのであるが、日本の報道はアメリカ側の情報がほとんどである。もちろん、その見方があるのと同時にロシア側の見方も存在する。ロシアを否定するためには、ロシア側の論理を知り、その中の論理矛盾や論理飛躍を指摘しなければならない。西側の論理を押し付けただけでは意味がないのである。そしてそのロシア側の論理を知るためにはロシア側の歴史館などを見る必要があるし、またなぜ今なのかということを考えれば、当然に「ロシアの環境」ということを考えなければならない。要するに、「人間の裏側」というのは、当然に、環境や歴史館などで変わってくるものであり、その中で、何を考えるのかということの考察が必要なのである。
もちろん、今回の内容んでロシアを擁護するつもりはない。一方で非武装、そして軍隊を持たないということが、どのような結果をもたらすかということも勉強になったのではないか。例えば、「沖縄の一部が独立する」と言い出して、中国が同じように「日本政府の虐待に対して平和維持軍を派遣する」というようになった場合、何が起きるのであろうか。国名を伏せて、同じようなことを考えた場合、何か恐ろしくなることはないのか、そして今できることはないのか。
さて、そのようなウクライナに関して、ウクライナの歴史などに関しては現在の有料メルマガ「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」https://www.mag2.com/m/0001647155で現在研究しており、また、今回の戦争に至る私が取材した裏側に関しては3月からオンラインサロン「陰謀渦巻く世界情勢の中であなたが生き残る方法」https://salon.dmm.com/979/postsでしっかりと行いたいと思っている。そちらに期待していただきたいと思う。
さて、そのような中で今回は日本文化について感がてえ見たい。
湯あみ着で混浴、楽しいよ…笑顔の女性「視線を気にして体隠さなくていい」
混浴がある各地の温泉で、体の露出を抑える湯あみ着(入浴着)を着用する動きが広がりつつある。混浴施設は近年、マナーの悪化などもあって敬遠され、利用者は減少傾向にある。施設関係者らは「湯あみ着で入浴することで抵抗感を減らし、世代や性別に関係なく、混浴の文化を楽しんでもらいたい」としている。
全国一の豪雪地にある青森市・酸ヶ湯(すかゆ)温泉。1月26日、混浴の大浴場「ヒバ千人風呂」では、幅広い年代の男女が楽しげに湯につかっていた。男性はハーフパンツ、女性はノースリーブの上着とハーフパンツ姿だ。千葉県から訪れた20歳代女性は「視線を気にして体を隠さなくていい。落ち着いて楽しめる」と笑顔で話した。
酸ヶ湯温泉では現在、朝夜限定で女性専用の入浴時間を設けている。ただ、「時間で区切るのではなく、皆が同じ空間で楽しめる環境を」との考えから、試験的に混浴での湯あみ着導入を始めた。利用者の反応を見ながら今後、本格導入を検討する。
熊本県南阿蘇村の地獄温泉青風荘は、2019年に混浴での湯あみ着の着用をルール化した。河津謙二副社長(58)は「若い人や混浴に抵抗がある人にも温泉を楽しんでもらえるようにした」と話す。
講演や著作などで温泉の魅力を発信する「温泉家」の北出恭子さん(37)によると、混浴施設は1993年には全国で約1200か所あったが、2021年には約500か所まで減少した。北出さんは「若い世代は裸での入浴に拒否反応を示す人もいる。男性が女性の体をジロジロ見るなどモラルに欠ける例もあり、敬遠につながった」とみている。
一方、施設によっては裸での入浴に価値を置くところもある。利用者からは「湯あみ着では風情がない」との声もある。岡山県真庭市の湯原温泉砂湯では16年、「隠そう下半身」と書いた看板を脱衣所などに掲げ、男性客にタオルや水着などの着用を促した。だが、「裸で入りたい」と、何も着けずに入浴する客は今も一定数いるという。
湯治文化に詳しい東洋大(観光学)の内田彩准教授は「混浴文化をどう継承するのか、地域や施設ごとに考えていくことが重要だ」と指摘する。温泉評論家で日本温泉地域学会の石川理夫会長も「ジェンダーレスなど現代の多様なニーズに湯治場が応えるためには、湯あみ着の導入も一案だ」と話している。
2022年02月16日 14時26分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-1474548/
ウクライナの問題があるが、構わず「土曜日のエロ」を続けようと思う。不謹慎とか、不敬とか、そういうことを思う人はぜひ読まないでいただきたい。ウクライナの検討はウクライナを扱う記事で行うのであり、何も考えていないわけではないのである。
ところで、あくまでも一般論として書くが、「戦争」という極限状態において、人間はなぜか「性欲」が高まる傾向にある。一つには、本能的に子孫を反映したいということもあるし、また、死への恐怖心を紛らわすために誰かの肌のぬくもりを感じたいというようなこともあるのではないか。そのほかにも、現実を逃避するというような感覚もあるのかもしれない。このように見てゆくと、実は戦争中というのは、子供を作る行為が非常に多く行われ、また、「家族」への意識が非常に強くなる。あえて家族という単語を鍵括弧で囲んだのは、現在の家族、親などとは別に、現在の恋人たちで「将来の家族」ということを含むものがあるからだ。そのような意味で、今回のウクライナでは、来年あたりベビーラッシュがあるのかもしれない。
逆に、「平和」が長く続くと、「性欲」よりも「秩序」を重んじるようになってしまう。要するに「非常事態」というのは、「人間の動物としての本能」や「心理的な効果」が先だって人間は行動するものであるのに対して、平和であるというときは「社会性」「秩序」を優先して動くようになってくるのである。そのようなことが今回の内容で見えてくるとある意味で面白いのかもしれない。
この「平和」の象徴が、実は日本の江戸時代である。何しろ鎖国をしてしまっていて、戦争を260年も行っていないし、また国内においても戦国時代のような合戦は行われていない。ではその時に風呂はどうなっていたのであろうか。
日本の中で実は江戸は水はあまり良くなかった。その上お湯にするということは大量のまきを必要とするし、窯も必要になる。その窯を任せる人材も必要になるのだ。そのように考えた場合、実は江戸は「風呂屋」は基本的には混浴であった。日本の風呂が法的に男女別が原則となったのは明治以降の事であり、それまでは混浴が基本であったのだ。
ここで平和が重要になる。つまり「長期間の平和」である日本では、混浴であってもほとんど(あくまでもほとんどであるが)性的な事件が存在しなかったということである。それどころか、「三助」といわれる男性が女性の背中を流しているのが普通で、女性も「三助さん、お願い」といって、気軽に任せていたのである。
私がいつも言っているように「テロよりエロ」である。しかし、三助などは「仕事」として行っているのであるから「エロ」にはならないのであろう。さて、このような「混浴の文化」は、実は日本の平和の象徴であるといえる。その混浴の文化を守るということになる。その決め手が「湯あみ着」であるという。
湯あみ着は、まあ平たく言えば「お風呂用の水着」という感じで、これから様々なものが出てくると思うが、基本的には中が透けて見えない、浴衣であるという感じが近い。そのようにすれば「洗い場」だけを男女別にして、浴槽は一つで足りるということになるのである。
男女が風呂に入りながら会話するというのは、ある意味で二重の意味でリラックスする要件がそろっており、様々な話が出てくる。実は、このような場の出会いが、「少子化対策」につながるのではないか。なぜか、日本の平和主義者たちは、このような歴史を全く無視してしまい、混浴ということに関しては、逆の立場をとっていることが多い。ジェンダーなどというような外国語を使って、わけのわからないことを言い始めている。
そのようなことから考えると、日本の平和という文化をしっかりと残す必要があるのではないか。