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渋谷昌孝(Masataka shibuya)

21 Lessons「戦争」

2022.02.25 12:17
「…もしプーチンがスターリンやピョートル大帝やチンギス・ハーンのような意気込みで戦争を行なっていたら、ロシアの戦車はとうの昔に、ワルシャワやベルリンとまでは言わないでも、トビリシやキエフには突進していただろう。だが、プーチンはチンギス・ハーンでもスターリンでもない。彼は21世紀には軍事力があまり役に立たないことや、戦争を仕掛けて勝つには、限定戦争を行うにとどめておかなくてはならないことを、誰よりもよく知っているように見える。ロシアが情け容赦ない空爆を行ってきたシリアにおいてさえ、プーチンは用心を怠らず、ロシアが最小限の足跡しか残さないようにし、本格的な戦闘はすべて他の国の人々に任せ、戦争が隣国にまで広がるのを防いでいる。

実際、ロシアの視点に立つと、近年ロシアがとってきた攻撃的な行動とされるものはみな、新しいグローバルな戦争の端緒を開くものではなく、手薄になった防備を補強する試みだった。ロシアは1980年代から90年代初期にかけて、平和的に軍を引き揚げた後、打ち負かされた敵のように扱われた事実を指摘することができる。それはもっともな話だ。

アメリカと北大西洋条約機構(NATO)はロシアの弱みにつけ込み、約束に反してNATOを東ヨーロッパへ、さらには旧ソ連の共和国の一部にまで拡張した。そのうえ西側諸国は、中東におけるロシアの権益を無視し、怪しげな口実でセルビアとイラクに侵攻し、総じて、ロシアは西側諸国の侵略から自国の勢力圏を守るには、自らの軍事力に頼るしかないことを、はっきりと思い知らされた。この視点からは、最近のロシアの軍事的な動きは、ウラジーミル・プーチンだけでなく、ビル・クリントンやジョージ・W・ブッシュのせいであるとも言える。

もちろん、ジョージアやウクライナやシリアでのロシアの軍事行動は、はるかに大胆な帝国主義的攻勢の第一弾となる可能性はある。たとえプーチンがこれまで世界征服を真剣に考えてはいなかったとしても、成功に味をしめて野心をたぎらせるかもしれない。とはいえ、プーチンのロシアはスターリンのソ連よりもはるかに弱く、中国のような他の国が加わらなければ、新しい冷戦には持ちこたえられないし、まして本格的な世界大戦など、戦えるはずがないことは、忘れないほうがいい。

最近のテクノロジーの発展により、この隔たりは見かけよりもさらに広がっている。ソ連が全盛を迎えたのは20世紀中期で、それは重工業がグローバル経済の推進力だった頃であり、ソ連の中央集権システムは、トラクターやトラック、戦車、大陸間ミサイルの大量生産で秀でていた。今日、情報テクノロジー(IT)とバイオテクノロジーのほうが重工業よりも重要だが、そのどちらの分野でもロシアは秀でていない。

サイバー戦争に関しては優れた戦闘能力を持っているものの、民間のIT部門はなく、経済は天然資源、とくに石油と天然ガスに極度に依存している。これは少数の寡頭制支配者を富ませ、プーチンを権力の座にとどまらせておくには十分かもしれないが、これだけではデジタル軍拡競争やバイオテクノロジー軍拡競争には勝てない。

こちらのほうがさらに重要なのだが、プーチンのロシアは普遍的なイデオロギーを欠いている。ソ連は冷戦の間、全世界の及ぶ赤軍の力に劣らぬほど、全世界に及ぶ共産主義の魅力を頼みにしていた。それに対してプーチニズムには、キューバ人にもヴェトナム人にもフランスの知識人にも提供できるものがほとんどない。権威主義的ナショナリズムが本当に世界中に広がりつつあるかもしれないが、まさにその本質のゆえに、権威主義的ナショナリズムはまとまりのある国際的なブロックの確立にはつながらない。

ポーランドの共産主義とロシアの共産主義は、少なくとも理論上は国際的な労働者階級の普遍的な権益を確保することに尽力していたのに対して、ポーランドのナショナリズムとロシアのナショナリズムが守ろうと尽力する権益は、当然ながら対立する。プーチンの躍進はポーランドのナショナリズムの高まりを引き起こすので、ポーランドは前にもまして反ロシアになるだけだろう。

したがってロシアは、NATOとEUの解体を目指した偽情報と政府転覆のグローバルな作戦に乗り出したとはいえ、物理的な征服のグローバルな作戦にも乗り出そうとしているなどということはありそうにない。クリミアの併合と、ジョージアやウクライナ東部への侵入は、新しい戦争の時代の前触れではなく、例外的な出来事であり続けることを願っても、そこそこ妥当だろう。」


以上

ユヴァル・ノア・ハラリ「21 Lessons」河出文庫から。