一期一会の光
Facebook近藤裕子さん投稿記事
花 無心にして 蝶を招き 蝶 無心にして 花を尋ぬる
花 開く時 蝶来たり 蝶 来る時 花開く
吾も亦 人を知らず 人も亦 吾を知らず 知らずして 帝則に従う
花が咲く時になると 花に招かれなくとも蝶が飛んで来ます。
蝶は 花から蜜をもらい 花から花へと花粉をつけて行きます。
自分も 人も 互いを知らないけれど 天と地の道理に従って生きています。
良寛のこの詩は 自然の摂理を 見事に表現しています。
人間も自然の中で生かされています。
[小さな思いに囚われて悩まずに 広い心で生きて行きなさい]
良寛の優しい声が聞こえて来るようです
https://1kara.tulip-k.jp/buddhism/2016111240.html 【一期一会は大事な心がけ これ一つで人生観が明るく変わります】より
一期一会(いちごいちえ)という言葉があります。
「人との出会いは一期一会」「一期一会の気持ちで接する」
などと使われ、演歌の曲名や映画の題名にも使われることのある言葉ですが、一期一会とはどんな意味なのでしょうか。
(質問):一期一会(いちごいちえ)とは、どういう意味でしょうか
(解答)
一期一会とは一期は仏教の言葉で、人間が生まれてから死ぬまでのことですから、一期一会とは、一生に一度だけ、生涯に一度限りという意味です。
「お客様とは一期一会」「一期一会と思って臨む」など、「人と人との出会いは一度限りの大切なもの」という意味で使われたり、「生涯に一回しかないと考えて専念する」という意味で使われています。
茶の道で知られる千利休(せんのりきゅう)の弟子、山上宗二(やまのうえそうじ)の本に「一期に一度の会」とあり、茶道でよく使われるようになりました。
「これから幾たびも茶会を開く機会があっても、この茶会と全く同じ茶会を二度と開くことはできない。だから、茶会は常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならない。」と茶道の心得を表した言葉として有名です。
しかし一期一会は茶道だけのことでしょうか。
仏教に説かれる諸行無常
仏教では「諸行無常(しょぎょうむじょう)」が教えられています。
「諸行無常」は、平家物語の冒頭に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますので、皆さん聞かれたことがあると思います。
諸行無常とは、諸行とはすべてのもの、無常とは常がないということで、すべてのものは変わり続けるという意味です。
毎日のニュースは
「○○で交通事故があって△△さんが亡くなった」
「○○で火事があり、焼け跡から△△さんと思われる遺体が見つかった」
など、私たちは、いつ、どこで、何が起きるかわからない世界に生きていることを教えてくれています。
これを「火宅無常の世界(かたくむじょうのせかい)」と言います。火宅とは、火のついた家ということで、不安を表します。いつ何が起きるか、わからない不安な世界ということです。何かの集まりが終わった後、また会いましょうと言って別れたとき、そのときはわからなかったけれども振り返ってみて、あれが最後の出会いだったのか、あれが最後の言葉だったのかと知らされることがあります。
あのとき最後の出会いとわかっていたなら、もっとこのようにしていた、あのようにしていたと思うことはないでしょうか。
仏教では「無常観」といって、無常の現実をありのままに観つめることを勧められます。
それは、いたずらに暗くなるためではなく、今の出会い、今日の一日を大切にしましょうと今を大切にしている言葉なのです。
まとめ
一期一会は一生に一度だけ、生涯に一回限りをいう意味の言葉で、茶道でよく使われます。
しかしすべてのものは続かない諸行無常の世の中ですから、これからも続くと思っていたけれど一期一会だったということがたびたびあります。
今日という日は一期一会、今の出会いも一期一会と思えば、日々の出会いをより大切にできるでしょう。
幼いときに両親を亡くされ、九歳で出家された親鸞聖人の無常観はどうだったのでしょうか。
https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/nb09a5fd29565 【一期一会の光(神野紗希:俳人)#出会いと別れの心理学】より
五七五で、様々な時代の様々な人々の、多彩な心模様をくみ取ってきた俳句の世界。俳人の神野先生に出会いと別れの俳句をテーマに、この状況下で思うことをお書きいただきました。
「であわなければ、よかったのに!」
保育園まで、大人の足で歩けば10分ほどで着くはずなのですが、5歳の息子と一緒だと、30分以上かかります。やれ蟻がいた、やれたんぽぽが咲いていると、5mごとに興味をひくものがひしめき、なかなか歩が進みません。時計を見てはらはらしている母をよそに、息子はうれしそうにたんぽぽの綿毛を吹いています。
よく考えてみれば、大人にとっては見慣れた蟻やたんぽぽでも、まだ幼い子どもにとっては、はじめて出会う世界のかけらです。きっと、ものみなすべて、きらきらと輝いて見えるのでしょう。せかしたくなる気持ちを抑えて、息子と視線の高さを合わせ、青空へ飛んでゆく綿毛を一緒に見送ります。通園の道のりは、季節との一期一会が待つ、毎日の短い旅なのです。
ある日、石段を下った松の木の根方で、てんとうむしを見つけました。指に載せると、つつつつ、と登ってゆきます。「てんとうっていうのはね、太陽のことなんだよ。ほら、指の向きを変えても、太陽を目指して歩くでしょう?」てんとうむしの習性をはじめて知った息子は、目を輝かせて見つめています。
「ねえ、ぼくにも、やらせて!」
母の指から移されたてんとうむしは、小さな指を登ってゆき、てっぺんまでくると、太陽へ向かってパッと飛び立ちました。
「ほら、てんとうむしさん、ばいばーい」
手を振って見せると、息子はなんだか不満そう。
「てんとうむしさん、またあえる?」
「うーん、そうだね。また出会えるかもしれないけど、もうこれで最後かもしれない。だから、ちゃんとばいばいしよう。」
会えるよ、となだめるのは簡単ですが、真実を歪めて隠してしまうのも不誠実に思われて、正直に伝えました。すると彼は、てんとうむしの消えていった空を睨んで、泣きそうな顔でこう言いました。
「ばいばい、いやだ! もう、であわなければ、よかったのに!」
神野先生 挿入写真 テントウムシ最終を拡大表示
今日、たまたま、蛙や鮒と出会ったこと
出会わなければ、良かったのに。
悲しいとき、人はつい、時を遡ってその悲しみの原因を探ろうとします。でも、出会わなければ、本当に良かったのでしょうか。別れてしまえば、すべてなかったことになるのでしょうか。
俳人としての私の答えは「いいえ」です。これまでに生み出されてきた、数知れない俳句たちは、一期一会の出会いの意味を、たった17音の中に繰り返し詠み継いできました。
古池や蛙飛びこむ水の音 松尾芭蕉
おそらく世界で一番有名な芭蕉のこの句も、古池と蛙の一期一会の出会いが刻まれています。永遠とも思われる古池の静寂を、春に生まれた蛙が飛び込んで、ほんの一瞬、あざやかに崩しました。そのぽちゃんと聞こえた水のひびきを、芭蕉は俳人の耳で聞きとめたのです。後にはただ、古池の景色が残っているだけ。でも、蛙と出会ったあとの私たちにとって、その古池は、出会う前の枯淡の世界ではなく、命の揺籃としての輝きを秘めた存在に変わるのです。
露草や野川の鮒のさゝ濁り 正岡子規
秋のはじめ、紫色の露草が咲く野川のほとりを歩いています。流れを覗きこめば、驚いた鮒がさっと鰭を動かし、川底の砂をまきあげ、透明だった水がふっと濁りました。そのかすかな変化を、子規は俳人の目で見つけ、書きとめました。ここにも、露草と鮒の出会い、子規と風景の出会いが刻まれています。
明治28年、不治の病・結核を患う子規は、日清戦争の取材へ出かけ、帰路に大喀血、生死の境をさまよいました。一命をとりとめて故郷の愛媛・松山に帰省した折、なじみの道後を散策して詠んだ一句です。
あの戦争へ行かなかったら、あるいは子規はもう少し生きられたのでは、といわれています。しかし、子規は行きました。そして、死の淵から帰還したのち、「写生」という理念を掲げ、ありのままの風景を俳句に写し取る方法論を展開しました。もう二度と帰れないかもしれなかったからこそ、故郷のなんでもない野川の風景も、きらきらと命の輝きを見せたことでしょう。蓄積されてきた知識以上に、眼前の今との一期一会の出会いを大切にする「写生」は、今も広く、俳句を作る方法として親しまれています。
今日、たまたま、蛙や鮒と出会ったこと。きっと、日常を営んでいれば、早晩忘れてしまう些細なことです。俳人は、そんな小さな出会いを、17音の小さな器に書きとめ続けてきました。常に変わらないように見える古池や野川にも、実は折々に命が行き交い、出会いと別れのドラマが生まれています。その変化を写し取った俳句たちは、この世界が実は、小さくも眩しい一期一会の光に満ちているのだと、静かに教えてくれます。
神野先生 挿入写真 水面のきらめきを拡大表示
秋二つ 出会いと別れの記憶を抱いて
行く我にとゞまる汝に秋二つ 子規
先述した明治28年の松山への帰省の折、子規は夏目漱石の下宿に転がりこみます。大学時代からの親友だった漱石は、たまたま子規の故郷・松山に英語教師として赴任していたのでした。この句は、52日間の同居生活を終え、子規が東京の自宅へ戻るときに、漱石へ宛てた句です。
これまではともにひとつの秋を過ごしてきたけれど、今、東京へ行く私(子規)に、松山にとどまる君(漱石)に、秋はひとつずつ、「秋二つ」になる。それぞれの道は分かれてゆくのだなあ……。もし、子規と漱石がこの秋、一緒の時間を過ごさなかったら。そもそも「秋一つ」という出会いがなければ、「秋二つ」の別れの感慨も生まれませんでした。
切ない別れには必ず、鮮烈な出会いが内包されています。その記憶を抱いて生きてゆくことが、私たち人間には許されています。
さまざまの事おもひ出す桜哉 芭蕉
芭蕉45歳、故郷の伊賀上野を訪れ、かつて仕えた藤堂家の庭で詠んだ俳句です。慕っていた当主の蟬吟は、若くして亡くなりました。今、その忘れ形見である探丸から、20年ぶりの花見の誘い。懐かしい桜を前に、あふれる思いを書きとめました。あえて「さまざまの事」と総括することで、芭蕉一人の体験が透明に普遍化され、万人が自身の思いを重ねることのできる一句となりました。
出会わなければ、別れもありません。でも、出会わなければ、思い出す記憶もなかったでしょう。出会い、別れたのちも、私たちの心には、触れ合ったなごり、あたたかな記憶が残ります。子どもはたくましいもので、てんとうむしにべそをかいていた息子も、夕刻にはまた、道ばたのみみずに夢中です。彼も、たんぽぽやてんとうむしとの別れを通して、いつか来る、もっと大きな別れの準備をしているのかもしれません。
コロナ禍、新たな出会いの生まれにくい今ですが、足元に、空に、目を向けてみましょう。そこにはすみれが咲き、つばめが飛んでいるはずです。さまざまな出会いと別れの記憶を抱く私たち。さあ、今日も、いつか懐かしい時間に変わる、新しい一日がやってきます。