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自分のルーツ

2022.02.27 07:29

敗戦を境に アメリカナイズされ続けた私たちは日本人としての誇り、日本人としてのメンタリティ、日本人としての文化と歴史を見失っているのではないでしょうか?

歴史の浅いアメリカでは骨董品に人気が集まると聞きます。

フロンティア精神でネイティブアメリカンを侵略し続けたピユーリタン達は祖国を追われた民でした。(西部開拓史)  

しかし、新天地アメリカも「人種の坩堝」といわれるように真実の祖国とは成らず・・・

植民地をどれほど得ても満たされない彼ら、自分の祖国・ルーツを失った彼らは 満たされることのない所属欲求を 生理的欲求(物欲)で満たすが如く更なる富と権力を求め続けます。

ディアスポラの民ユダヤ人もそうですね。

ユダヤの祖とされるセム族はメソポタミヤ文明の中で生まれました。

しかし木材を伐採し続けたセム族は 飢饉に遭遇することになり 族長の一人イサクは息子ヨセフの援助を得て エジプトに身を寄せることになります。

しかし寄留の国エジプトで その子孫が繁栄し続けたイサクの民は エジプト人から恐れられ、奴隷の憂き目にあうことになります。

「出エジプト」こそ「奴隷から解放されたユダヤ人」の救いの原点であり、モーセ5書こそユダヤ教の聖典です。

しかし「出エジプト」から導かれた「約束の地カナン」は まもなく ローマに征服されてしまいました。

ユダヤ教の会堂で礼拝を捧げ学びをしていた クリスチャンもユダヤ教信者も ローマから迫害を受けることになりました。

イエスは反ローマ運動の指導者として処刑されました。

イエスの死後 クリスチャンは もちろんローマの敵として 抹殺され続けました。

そのローマがなぜキリスト教を国教会と定めたのでしょうか?

「戒律を重んじるユダヤ教」や「多神教」よりも、「神の愛を説くキリスト教」は楽に信者になる=仲間を作ることができる教えです。(自力本願のユダヤ教:他力本願のキリスト教)

仲間が大勢になれば国の統治に利用され、それによってさらにキリスト教会の地位が増し、信者になりたがる人も増える構図が見えます。

迫害をし続けたにもかかわらず クリスチャンはより大勢となったため、テオドシウス帝が統治に利用するため国教と指定するに至ったと考えられます。

ユダヤ教はキリスト教に キリスト教はローマに 乗っ取られたと言えば言い過ぎでしょうか?

ユダヤ人(ユダヤ教信者たち)は 約束の地カナンさえ失ってしまったのです。

祖国を失うとは 自分のルーツを失うことです。

それは満たされることのない飢えと渇きを産むことになるのではないでしょうか?

一方メソポタミヤ文明の崩壊の憂き目に晒された ヤコブ一族以外のセム族は どのように生き残ったのでしょう?

シルクロードが示す如く 新天地を求めて 民は中央アジアへと移住したとは考えられないのでしょうか?

実際日本にはユダヤ同祖論が 有力な論として存在しています。

もしかしたら 私たち日本人のメンタリティの中には自分のルーツを失った民の痛みがあるのかもしれません。


エデンの園の中央に植えられた禁断の木の実はリンゴ?いいえ葡萄??

聖書に「園の中央にある善悪を知る木から取って食べてはならない。

食べると死ぬから」と書いてあります。

取って食べたアダムとイブは 神を失い、楽園を追放されます。

善悪の区分をすることは自己を神化することであり、絶対的な善悪は 存在しないということではないでしょうか。

そのの中央の木の実とはリンゴだと通説には言われています。

しかしダンワールドではマゴガーデンで葡萄の実を食べた故 人間の堕落が始まったと教えます。

私はこのアニメを観た時 楽園追放をイメージせずにはおれませんでした。

機会があってナジルびとを調べました。

ウィキペディアには以下のように記されています。

ナジル人(ナジルびと)とは、聖書に登場する、自ら志願して[1]、あるいは神の任命を受ける[2]ことによって、特別な誓約を神に捧げた者のことである。実名で知られている者としてはサムソンが挙げられるが、他にも大勢のナジル人が存在したことを聖書は示している[3]。また、サムエルもナジル人であったとする意見もある[4]。

ヘブライ語のナジールは、「聖別された者」を意味する。この同じ語は、ヨセフが祝福されたことに関連しても用いられている[5]。

ナジル人の誓約[編集]

「民数記」6章にその規定が存在する。

ありとあらゆる葡萄の木の産物を口にすることを禁止される。葡萄酒、葡萄酢(ワイン・ビネガー)、生のまま、干したもの(レーズン)、まだ熟していないもの、皮、が列挙されている。

髪を切ってはいけない。

死者に近づいてはいけない。たとえそれが自分の父母であっても例外は存在しない。

旧約聖書に従えば 葡萄及びその加工品を口にすれば 神の祭司としての資格を失うことになります。

「禁断の木の実は葡萄」だといえそうです。

一方近代科学から見れば 禁断の木の実はやはりリンゴだといえそうです。

リンゴを縦に割ってその切り口を観ると トーラスが!!!

横に割ると五芒星が!!!