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大和心

2022.02.27 07:58

https://ameblo.jp/sakuramitih32/entry-12585562581.html 【・敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ  山ざくら花】より

敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山ざくら花 本居宣長

(しきじまの やまとごころを ひととわば あさひに におう やまざくらばな)

意味・・大和心とはどういうものですか、と人が問うたならば、朝の太陽に照り映えている山桜の花、という比喩で私は答えます。

宣長は日本の心、すなわち本質を追求し、それを古代の日本に求めようとした。そして、日本の心は「すなお」や「清らかさ」であると考えた。それが自然界にあっては、直(なお)らかに 咲いている山桜の花が清らかな朝日に照り映えるようだと、宣長は考えたものです。

 注・・敷島=大和に掛る枕詞。

大和心=日本人としての心情。美しい花、素直な花、青く清らかな空、明るい雰囲気にたとえられる。

にほふ=色美しく照り映える。

作者・・本居宣長=もとおりのりなが。1730~1801。賀茂真淵の門下生。


http://www.kangin.or.jp/learning/text/poetry/s_D1_03.html 【敷島の - 詩歌 - 漢詩・詩歌・吟詠紹介 】より

敷島の<本居宣長>

敷島の やまと心を 人とはば 朝日に匂ふ 山さくら花

読み方 しきしまの<もとおりのりなが>

しきしまの やまとごころを ひととわば あさひににお(お) やまざくらばな

語意

敷島の大和・日本の枕詞(まくらことば)

匂ふ映える

歌意

 敷島の国やまとの人々を特色づける大和心について尋ねられたなら、私はそれを、朝日に映える山ざくらの花と答えよう。

出典

 61歳の自画像で自らの讃

作者略伝

本居宣長 1730─1801

 享保(きょうほう)15年ー享和(きょうわ)元年、伊勢の松阪に生まれ、幼名を富之助のち栄貞(よしさだ)といい、初めは医学を学ぶため、京都に遊学。号を春庵、名を宣長と改める。漢文学を堀景山に学び、僧、契仲(けいちゅう)により古典学の研究の影響を受け、また、賀茂眞淵(かものまぶち)の門に入り「古事記伝」を起稿完成。「源氏物語玉の小櫛」その他著書多い。江戸中期の国学者。享和元年9月29日病により没す。年72。

備考

 明るい春の朝の日ざしの中に、咲き映える桜。宣長は、この朝日と桜の対応の中間に、照り映えた純美(じゅんび)な渾然(こん ぜん)とした理屈ぬきの美しさを、大和心と見ていたと言えよう。

 宣長がこの歌を詠じた心の奥底には、「ありのままの姿と姿を好ましく思い」自らも又「ありのままの心」で対面したいという思いがあったと考えら れる。ありのままの姿を、ありのままの境地で見る心が「やまとごころ」であり、対面する物が美しければ美しい程「あわれ」の思いが高まるであろうし、反面に醜(しゅう)であってもこの心が働くはずである。雄雄しさ、勇ましさではなく、まして散りざまのいさぎよさは予定されていない。


https://kigosai.sub.jp/bs/?page_id=30625 【山桜100万本植樹計画】より

 毎年、国内外で山桜1000万本植樹計画を進めています。植樹場所は国内外の個人、法人、自治体などの所有地です。この活動を広めるために1口=1,000円の「山桜基金」を募集しています。郵便振替用紙に口数を明記のうえ、お振り込みください。

      なぜ、山桜か

長谷川 櫂      *

桜はこの国でもっとも華やかな花であり、古くから歌に詠まれ、絵に描かれてきた。紫式部は『源氏物語』のなかで、光源氏の最愛の紫の上を山桜にたとえてこう描写する。

気高く、清らに、さと匂ふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲きみだれたるを、見る心地す。(『源氏物語』野分)

この樺桜が山桜のこと。

しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山ざくらばな 本居宣長

本居宣長は日本人が古くから桜に対して抱いていた思いをそのまま一首の歌にした。ここで山桜にたとえられる大和心は、その字のとおり大らかに和する心。「もののあはれ」を解する和心のことだった。

ところが、戦争を遂行した時の政府は大和心を猛々しい大和魂にすり替え、山桜をその象徴に仕立てた。戦争に動員されたのは人間ばかりではない。桜も富士山も動員されたのである。

戦争が終ったとき、日本人の多くが戦争と同じく桜や富士を憎んだとしても何の不思議があろう。桜を詠む気にはなれない、詠んではいけないと思う人々が大半を占めていたのだ。

さまざまの事おもひ出す桜かな      芭蕉

芭蕉のこの句も、桜の花を見るたびに戦争を思い出すという意味にしか解しようがなかった。

その戦争から六十年が過ぎた。桜に対するわだかまりもようやく解けようとしている。戦後に生れた人間は、戦争によって桜のこうむった傷を治す役割り、日本人が昔のように桜を晴れ晴れと愛でることができる時代にする役割りを負っているのではなかろうか。(「六十年後の桜」から抜粋)


https://dasaan.xsrv.jp/archives/12439 【【今日の短歌】しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける (明治天皇)】より

安倍首相が、施政方針演説の際にとある短歌を引用して、ロシアのプーチン大統領の怒りを買ってしまったとのニュース。☆

しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける  明治天皇

(日本人の大和魂の勇ましさは、(平時では現れなくても)ここぞというときに現れるものだ)

安倍首相が引用したのは上記の短歌なのですが、これは日露戦争の最中に明治天皇が詠まれたもので、国民の士気を高める意味がありました。このことが、ロシアを刺激してしまったというわけなんですけど・・・。

短歌はそのままの言葉通りとは限らず何かを暗喩していたり、いろんな意味が込められたりしますからね。こういった形で、外交にも影響することがあるんですね。