コロッケとカレーライス
片鱗 現行未通過❌
空は茜色に紫帯びた夜の帳が掛かり始める頃合い、街には仕事帰りであろう会社員や、夕飯の買い出しに連れ立つ母子、これから食事にでも行くのか腕を組んで歩くカップルなど多くの人が行き交い、賑わいを見せる。
仕事終わりのホコリを払い、カーキ色の繋ぎの隙間から風が入り込むのに首をすくめながら歩く楽は、遠目に暮れていく空を眺めて帰路を足早に歩いていた。
所謂土建屋に就職した楽は、現在の仕事現場が住処から徒歩で向かうことが出来る為、大変に感謝しながらその…徒歩30分の家路を急ぐ。
それでも、途中にある激安スーパーにも寄れることを考えると、これから寒くなっていくという難点を除けば中々ラッキーな現場に配属されたものである。
ふと、曲がり角を曲がっていつも通り抜ける公園へと足を踏み入れた時、見覚えのある人影を見つけて楽は立ち止まった。
茜色に透ける淡いシャンパン色の髪が柔らかくふわりと風に弄ばれ、深い赤色のコートがその冷たさから守る、同居人であるレムだ。
ただならぬ縁で繋がり合い、身寄りもないこの世界でたった二人きりの顔見知りであった彼は、楽の姿を見つけるとにこりと柔らかな笑顔を浮かべてみせた。
「おかえりなさい。丁度こちらも終わったので、此処を通るかと。」
笑顔と同じく柔らかな声でそう告げると、小首を傾げるレム。
彼もまた身よりもなにもないこの地で、今は気前のいい夫婦が営む精肉店に勤めて生活を支えていた。
元が楽であったというのが不思議なほど―――いや逆に仄暗い奥底から己を救うために生み出したのだから当然か―――朗らかで愛想が良いので、商店街の店員仲間たちや、客に愛され、頼りにされて中々重用されているようである。
「これ、また頂きましたよ。楽くんが先日大変喜んでいた話をしたら是非にと。」
「おばさんのコロッケ?やった、でかいし肉の味がしっかりして美味いんだよな」
これと差し出されたビニール袋を覗くと、中にはプラスチックのタッパーにぎっちりと詰められたコロッケが入っていた。
精肉店であるレムの勤務先では、町の肉屋らしく生肉の他にコロッケやもつ煮といったちょっとした惣菜も売られている。
それらはすべて店主の妻が作っているのだが、料理上手が自慢のようでどれもこれも非常に美味なので、商店街でも人気が高い。
先日このままでは売れ残ってしまうから、と退勤時のレムに渡され二人の食卓に並んだわけだが、男である楽の手のひらも裕に隠せそうな大きさのコロッケは、たっぷりと詰まったじゃがいもがホクホクとして絶妙な塩味が利き、混ぜ込まれたひき肉の脂と玉ねぎの甘味がその味を何倍にも引き立てる、まさに絶品であった。
そこいらのスーパーの冷めて痩せたコロッケくらいしか知らなかった楽はそれにいたく感動して、ぺろりと平らげたのだ。
「……って、俺の話したのか?」
「いけませんでしたか?」
「いけなくないけど…」
一緒に暮らしている…兄弟とでも話しているかもしれないが、そんな存在があることは元々隠していたわけではない、話してあるであろうことは分かっていた。
しかし其処は思春期というものだ、食べ物をもらってとても嬉しい、当然の感情のはずなのに、なぜか知られると恥ずかしい。
そんな複雑な感情が胸をくすぐって、僅かばかり目線が泳いだ。
微かに頬が赤い。
「…じゃあおかず以外のものだけちょっと買っていくか。」
「そうですね。」
いずれ直接お礼を言わなくてはな、そんな風に心に留め置きつつ、さてと揃って足を進め始める。
茜色の空は段々と日が落ちて暗くなり始めており、これから先もっと寒さが増してくるだろう。
その前に買い物を終えて帰宅せねば、と足を向けるのは前述の激安スーパーである。
地元の農家から直接仕入れているという野菜は新鮮で安く、更に大量仕入れによって成り立つその他の食品も破格値ということで、毎日大変賑わいを見せている店だ。
そんな激安食材で作られた弁当もまた安く、楽と同じように土建屋など外仕事の従事者が多い地域のためか、ボリュームもあって非常に重宝する。
夕飯時ともなれば値下げシールも貼られているので、よく世話になっていた。
スーパーに到着すると、あと数回で使い切りそうな醤油、特売になっていた緑茶のペットボトル…とカゴに入れながら目当ての弁当のコーナーへと行き着く。
夕飯時が近いせいか混雑しているが、まだまだ選ぶ余地はあるようで、大振りなハンバーグが入った弁当、ごろりとエビの入ったエビチリとチャーハンが半々になった弁当、はてはおかずは別で用意した人用といった体でむっちりとパックに詰められた白米や赤飯など、様々な弁当が並んで空腹感を煽る。
「レムも好きなの取ってこいよ?」
おかずはコロッケを貰ったのだから必要ないが、野菜も食べたほうがいいのか?などと慣れない栄養のことなど考えつつ悩んでいると、ふと背後のレムの気配があるままであることに気づき振り返る。
彼はいつも買い物のとき、こうして楽の隣か後ろにいて楽の問いに答え、手伝うような行動をしている。
思えば周りの家族連れのように、父親がふらりと酒を取ってきてカゴに入れたり、子供がねだりながら菓子を持ってくるようなことなど一度もしたことがない。
こうして弁当を選んでいるときも、楽と同じものを手にとったり、楽が迷っていればじゃあその二つにしましょう、なんて言って手にしており、自分から食べたいものを選んでいる様子がなかった。
「好きなものですか…」
ふむ、と顎に手を当てて考える素振りを見せるレム。
金色に近い淡い髪は柔らかく結われて方に落ち、其処に束ねられない髪もさらりと頬にかかっていて綺麗だ。
逡巡する瞳は学と同じ赤色だが、こうして笑みを消した目尻は少し吊っていて、キリとした表情も見せる。
言われなければ誰も肉屋、だなんて思わないだろう。
身よりもなにもない二人がこの地で生きる糧を得るために、就ける職業も限られる中だ、仕方がないとは言え。
なぜ彼は肉屋なんて選んだのだろう、ささやかな無言の間に、そんな事を考えた。
「…特に、思い浮かばないんですよねぇ。私、この世に生まれて間もないもので~」
考えたものの、と表情をまたへらりと崩して笑いかけるレム。
思わず楽は目を丸くするが、その言葉もまた、仕方がないことの一つだったかもしれない。
レムは、楽が自分自身を守るために生み出した人格の一つだ、元々は。
そのベースは楽であるものの都合よく生み出したほんの一欠片だったのだ、彼”自身”の主義思考、そして嗜好など存在しないのだろう。
加えてレムは楽を守るために生まれた人格だったのだ、その苦しみ、悲しみから守ることだけに極振りされた彼には、こうして不思議な力でこの世に体を持つまで、”個”がなかったと言っても過言ではない。
「………そっか。」
ともに暮らすようになって数ヶ月、改めて気づいてしまった普通と違う彼のことに、なにやら悲しみとは違う、もどかしい感情が湧き上がってしゅんと肩が落ちる。
だが、それも一瞬のこと。
楽は眺めたまま迷っていた弁当コーナーから踵を返し、野菜コーナーへと戻る道を辿る。
当然それについていくレムは、意図が読めずに首を傾げた。
「玉ねぎと人参と、じゃがいも…は、コロッケがあるから入れなくていいか。」
「…どうしましたか?」
不意に食材をぽつりぽつりと口にし始めた背中に戸惑いの声をかけると、振り返った楽は少しだけ照れくさそうに、けれどなんだか楽しそうに笑った。
「カレーだったら作れるだろ、多分。」
「カレー?はぁ…おそらく、パッケージに作り方も書いてあるでしょうしね?」
言われてみれば今挙げた野菜はカレーの材料としてスタンダードなものだろう、其処に肉とカレールーがあれば容易く完成を目指せそうだ。
楽がどれぐらい真面目に調理実習を受けたか分からないが、小学校の家庭科の授業ですら取り扱いそうな簡単レシピなのだから、17歳の楽ならばなんとか作れるかもしれない。
「レムの好きな食べ物…探そうよ。一緒になんでも、作ってみればいい。」
そういった声は僅かに弾んでいた。
レムの好きな食べ物探し、それがひどく楽しいことであるように。
「…そうですね、いくらでもこの先、時間もありますし。」
いつの日か。
眩しいほどの朝日が光り輝いた、何も持っていないけれど、何もかも出来ると自由を感じて泣いたあの海岸で、楽が口にした言葉が自然と溢れる。
この地で二人きり、共に居たいと願った二人きりだ。
何もかも失ってしまったけれど、これからいくらでも作り上げていけばいいと気づいた、あの時の感情がゆっくりと胸に満ちて温もりを体中に広げていく。
同じように感じているのか、楽も微かに頬を染めて嬉しそうに笑った。
あの時は潮風の吹く浜辺でポツリと落ちた言葉だったけれど、今はスーパーの中で、ともすれば掻き消えてしまいそうな騒々しさの中に。
なんて他愛もない、変哲もない日常の光景だろうか。
誰が見るでもない、だってそれはありふれたものに違いないから。
けれどそれこそ、望んだものだった。、普通であること。
これから先、何年も何十年も、そんな小さな普通を積み重ねていけたら。
これは一体どちらの望みであっただろうか。
さて、今夜はカレー作りに挑戦だという。
暖かく、おいしい食事を作るために邁進する。
なんと普通で、暖かな光景か。
揃いでもない、譲ってもらったために色も大きさもバラバラの皿に、二人それぞれに盛り付けられたカレーライス、その出来栄えは、果たして…?
五十峰 楽 CCB<=50 DEX×5>35 成功
#片鱗後日談
2022.1.6 (3835字)