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窓際の小さな笑顔

2022.02.28 14:53

片鱗 現行未通過❌


じっとりと汗ばむ梅雨を越え、晴天の陽光が突き刺す夏を越え、落ち葉と色褪せる街並みを憂う秋を越えて、段々と手袋のない手が自然とポケットに吸い込まれてしまう初冬へと。

そうして丁寧に季節を重ねたある日のある小さなアパートで、とりとめない二人の朝はゆっくりと幕を開ける。


「…うわ、つめた!」


時計の針はもうすぐ9時をさす所。

普段よりも随分と朝寝を楽しんだ楽は、折角の休みの日に寝てばかりも味気ないとなんとか布団を抜け出し、半分微睡んだままに洗面所まで踏み入れた。

100円均一で購入した簡素なプラスチックかごに、存外に丁寧に並べられた洗濯済みのタオルを手に取り、洗面台の蛇口をひねる。


商品の入れ替えとかで割引されていた洗濯洗剤を適当に買った割には、繊維も柔らかく良い匂いに仕上がったタオルに、ともすれば再び眠気を誘引されながらも蛇口のしたへと手を差し込み、水をすくって顔を洗う―――その瞬間に漏れ出た声だった。


そろそろ冬と言っても良い頃合い。

職場の伝手をもって格安で借りているこのアパートは、居間側こそ南向きでよく陽が入るものの、玄関、キッチン、洗面所が固まったエリアは完全に真北側。

窓はあるので暗くはないが、燦々と陽が差し込むことはなく、むしろ北風が窓をガタガタと揺らして寒さを煽ってくるのだ。

当然、其処にある洗面台から流れ出る水は、外に置かれたペットボトルのごとし。

ひんやりと冷たく、手も顔も一挙に熱が奪われて、微睡んでいるどころではなくなった。


「もう冬になりますからねぇ。ほら、早く洗面を終えてください。朝食は温かいスープですよ。」

「おー、ありがとう、全力で早く行く。」


悲鳴にも近い声に反応して、壁一枚挟んだキッチン側から小さな笑い声が漏れる。

一足先に起きて身支度を終えていた、同居人のレムだ。

飛び抜けてとはいかないかもしれないが、楽に比べて少々器用で食品に触れる機会も多いことから積極的に炊事を担当してくれている。


今日は偶々二人の休みが被り、それならばと朝食を用意してくれたらしい。

大袈裟でなく、寝起きの薄着でいつまでもこんなに冷えた洗面所に居ては凍えてしまう。

彼のありがたい申し出を素直に受け入れ、言葉通りに素早く、隙なく、洗面を終えて足早に居間の方へと戻った。

極々こじんまりとした1Kタイプのこの部屋は、先述の通り北側の玄関・キッチン・洗面スペースと、南側の居間で区切られている。

居間の方は一人暮らしであれば十分にベッドとテーブル、タンスの一つ二つも置けるであろう広さだが、諸事情あっての二人暮らしのためそれでは寝床が足りない。

そもそも家具を好きに揃えられるほど裕福でもなく、楽とレムの二人は夜はテーブルをどかして布団を並べて敷き、起きた後は片付けるという暮らしを選んだ。

今日は先に起きていたレムは既に布団を片付けており、後から起きた楽が己の布団を片付けてのろのろとテーブルを出した次第で、眠気からか少々部屋のバランス悪く曲がった位置に置かれたそれを、よいしょ、などと言ってレムが小鍋と器を載せたまま位置を直した今しがたである。


「え、鍋溢れるぞ、大丈夫?」

「あ。無精が見つかってしまいました~。」


器用なものだと思って苦笑が漏れるが、それを指摘すれば面倒臭がったのがバレてしまったと悪びれるでもなく小首を傾げる。


「あと持ってくるものある?」

「ではもう焼けた頃だと思うのでパンを持ってきてください。バターも必要なら。」

「スープ作ってくれたんなら平気。」


コクリと頷いて一旦キッチンへと戻ると、言われた通りトースターはその役目を終えて、扉の中にこんがりときつね色のトーストを二つ、包んでいる。

飾り気のないシンプルな白いトースター。

これも有名―――とはいえ世界を越えたらしい楽とレムには馴染みのない名前だったが―――ホームセンターで、新生活応援セットと言った具合に組み合わせで購入した、格安家電の一つだ。

おそらくこれ一つで考えれば二千円もしなかったであろう、その割によく働いている。

備え付けの戸棚から平皿を一枚取り出すと、トースターを開き、出来たてのパンの熱さを指先に一身に受けながらも、慣れたようにひょいと皿に載せる。

出来たてのトーストにバター…実はマーガリンだが、を塗る芳醇な香りは非常に贅沢だが、今日は暖かなスープの香りが充満している。必要なさそうだ。

ひんやりとした床を踏みしめていると足がかじかみそうで、思わず早足で居間へと戻れば、丁度小鍋から器にスープが盛り付けられたところで、溶け出した野菜の香りがより強く部屋に広がっていた。

テーブルにトーストの皿を載せ、スープの入った器を受け取り、手を合わせる。


いただきます。


簡素だけれども、非常に暖かい。

二人の”家庭の味”とでもいったところか。

はじめの頃こそ加減が分からず焦がしたトーストであったが、今ではすっかり二枚ならこの時間、厚みがあればこのワットと覚えたため、実に食欲をそそる焦げ目と匂いが立ち上る。

表面と耳の部分はさっくりと、齧り付けばイーストの芳ばしい香りが鼻を抜け、柔らかな白い部分はほんのりとした甘さを舌に残した。


スープの方はポトフだ。

キャベツに人参、カブと、賞味期限の関係で譲り受けたベーコン。

コンソメの絶妙な塩気が野菜の甘味を引き立てて、ベーコンの油分がそれを後押ししながらスープを冷めにくくもしてくれる。

寒い朝に冷え切った体の、芯まで染み渡るような心地よさだ。


「流石にもうそろそろ毛布だけじゃ寒いな、寝るの。」

「そうですねぇ…」


それぞれにトーストを、スープを頬張りつつ、話題にしたのは最近めっきりと冷え込んできたせいで、心もとない布団についてだ。

まさに着の身着のままで放り出された二人は、周りの人物の助けもあってなんとかこうして衣食住を確保できているものの、まだまだ快適で安心な生活を送れるとは言い難い。

ある時は汁気のあるおかずを入れるのに、深皿が丼しか無いと気づいてみたり。

ある時は偶々洗濯物が溜まって、物干し竿が足りなかったりと。

日常を送る中で一つ一つ、小さな問題点に直面することがある。

此度は中でも放置すれば今後の生活に多大な支障をきたしかねない…寝具の防寒についてだ。

この暮らしを始めたばかりの時は梅雨が終わる頃合いで、気温が上がっていく境だった。

暑くなる分には…いや暑いのも勿論大変難儀したのだがその話はいずれするとして、とにかく乗り越えたものの、これから迎える本格的な冬に、寝具の問題は非常に大きなものだと此処数日で身に沁みている。

現在ある寝具は二人分の敷布団、それからタオルケットと毛布。

毛布はいかにも田舎の親戚の家に眠っていそうなというか、通販番組で2枚組で云々と高らかに宣伝されていそうな、古臭い花柄の対のもので、楽の仕事先の社長が使っていないからと新品を譲ってくれたものだ。

今まではその持ちうる寝具だけでなんとかしのいできたものの、朝晩とだいぶ冷えるようになった昨今、冬用の上掛けが必要なのは目に見えていた。


「日用品の買い出しも併せて、ホームセンターのようなところを見てみましょうか。」

「ああ、そっか。ホームセンターでも売ってるんだよな、CM見たことある…視線は冷たくても布団は温かい、みたいなやつ。」

「時折楽くんが鼻歌歌ってるやつですね。」

「え!?歌ってる!?」


自覚のなかった指摘に弾かれたように顔を上げると、レムは頷きながら笑って、最後の一口であったトーストを口に放り込んだ。

無意識下を知られていることが気恥ずかしいやら、それでもこうして日常的に鼻歌が出る程度の生活が出来ていることを喜ぶべきか、複雑な感情に飲まれながらも、楽もまたトーストを食べきり、最後にと残していたポトフのベーコンを齧り、食事を終えた。




朝食の間に大分日も昇ってきたようである、外は黄金色に似た午前中特有の明るい陽射しが差し、寝起きで顔に浴びた水の冷たさを忘れさせる陽気。

片付けを済ませ、各々に身支度をして買い出しに出かけることにした。

外へと出れば、身構えていたほど寒くはないようだった。

空気はまだ朝の冴えを残しているものの、燦々と輝く太陽光で辺りは明るく、また暖められて、場所が場所なら絶好の行楽日和と言えるかもしれない。

とはいえこの日は特別な日ではない、日常の一幕、買い出しの休日である。

行くのは情緒あふれる紅葉の山裾ではない、そこかしこを自動車が通り子どもたちが騒ぎながら走りすぎていく町中だ。

その中でもとりわけ店々が多くにぎやかなエリアへと、レムと楽は連れ立って歩いていた。

街路樹は既にすっかりと葉を落としていて寂しげな装い、季節の移り変わりを感じる初冬の町並みだ。


他愛もない日々の報告や、今見かけた愛らしい犬の話など楽しみながら歩いていれば、やがて目的地であるホームセンターへとたどり着いた。

テレビCMでもよく見かける極一般的なチェーン店である其処は、2人と同じようにお休みのうちに大物の買い物を…なんて魂胆か、家族連れが多いように見えた。


「布団ってどこだろ…」

「インテリアではないので…2階ですかね。」

「布団って生活雑貨…なのかな?……行ってみれば分かるか…。」


店に入ってすぐの案内板を見れば、フロアは駐車場も含めて3階建てで別れており、目的の買い物はおそらく2階だろうと予想付ける。


買いたい物がどこにあるか分からない、など。

一人で生きているつもりになっていた楽にとっては大変皮肉な話だ。

いわゆる世間でいうところの毒親というものだったとしても、確かに楽は彼らに育まれ、生活を守られていたのだろう。

そんなふとしたことを思いながら、唇の裏をそっと噛む。

脳裏を掠めるのは何度も何度も呪うように呟いた、どうして俺がこんな目に遭うのだという、処遇を嘆いたあの日々だ。

いつからそうなったのか、もはや覚えても居ないが、それはつまり覚えがないほど幼い時から家族というものが酷く歪だった証拠にほかならない。

毎朝両親ががなり合う諍いの声で目覚め、見つかれば何もしていなくても愚図だのなんだのと文句を言われる、それを恐れてこそこそと家を出て学校に行けば、謂れもないそしりを受けて嘲笑の的にされる…睨みを効かせられる間はまだ良かった、だが一度こっぴどくやられてからは…


「楽くん。」


ぽん、と肩に手を置かれてはっと目を瞠る。

顔を上げると隣には当然、共に家を出たレムが、何を言うでもなく微笑んで楽の顔を覗いていた。


「…ごめん、なんでもない。」


なんでもないことで思わず思考が暗がりに差し掛かったのに気づいて自分でも首を横に振る。

なんでもないことではないが、今更どうすることでもないのだ。

こうして、ともすれば逃げと言える、この生活を選んだ時点でそれらはあったようでなかった過去となり、これ以上憎むことも、償うことも出来ない。

ただ胸の奥にどっかりと居座った消化しようのない罪悪感を抱えて、まんじりと今に胡座をかいているしか。


エスカレーターへと乗り、2階へと移動する。

すぐ真後ろに立つレムの気配はどこか緩やかで、居心地が良かった。

それはこの世界で二人だけの存在だという自負かもしれないし、此処数ヶ月を共にした安堵かもしれないし、単純に何故か自分より少し高い彼の身長のせいかもしれない。


「なんだか華やかですね。」


やがてエスカレーターは目的階へと到着し、フロアへ一歩踏み出したところでふとレムが呟いた。

声に気づいて彼の視線の先を追うとそこはフロアの一角で、一つのテーマを持って装飾がされ、季節の主力商品を全面に紹介するスペースだった。

赤や緑のフェルト飾り、真っ白な雪の装飾が施された置物、陶器、キラキラと煌くイルミネーション、赤い服に白い髭を蓄えたおじいさんと、連れられたトナカイのイラストが可愛いランチョンマット。


クリスマスの飾りたちだ。

10月のハロウィンを終えて以降、そういえばちらほらとそれらしい商品を見かけるようになったが、さしあたってこの休日から強化月間ということだろうか。

来月に控えた一大イベントに売り場は華やかに、そして鮮やかにディスプレイされ、行き交う客たちも足を止めて、楽しそうに商品を選んだり、クリスマスの思い出だろうか話をしたりと賑やかだ。


「もうクリスマスなんだな。」


周りの雰囲気に流されるように、その賑やかな一角へと踏み入れれば、造りの凝った人形や、綺羅びやかなツリーとその飾りなど、見ているだけで心も弾む品々が並べられている。

楽の家ではこういった物を飾る週間はなかったが、幼い時にはどことなく、この時期を楽しみにしていたように思う。

すぐ手元にあったスノーマンの置物は木で作られた優しい色合いに、少しおどけた表情がひょうきんで可愛らしい。

クリスマスパーティなんてものをやったことはなかったが、まともだった頃の祖母がせめてと用意してくれた町の洋菓子店のケーキや、姉が折り紙で作ってくれた王冠…思えば悪い思い出ばかりでもなかった。


「それ、欲しいんですか?」

「え?」


それ、とレムが指差したのはなんとなしに手に取っていたスノーマンの置物だ。

掌に収まるくらいの玩具である、値段もさしてするわけではない。

節約を常としている二人でも、確かにそれぐらい気まぐれに買ったとて困るものではないが、欲しかったわけでは…と、棚に戻しながら、気づく。


レムは、良くも悪くも過去の思い出がないのかもしれないと。

いや、ないのだろう。あったとしたらそれは楽が体験したことを覚えているのであって、レムの思い出ではない。

それはどれほど虚しく、不安なことだろうか。

しかし同情するのも見当違いであるし、彼も望んでいないことは明白だ。

言い様がないが、彼はそういうものなのだから。


「…レムが欲しいの、一個選んでよ。」


少しだけ悩んで口を噤んでから、楽は顔を上げた。

声にしたのは自分が「欲しい」のではない、レムが欲しい物を選んでほしいということ。

彼は自分の欲しい物を選ぶのが不得手だ。

二人で暮らすようになって、少しずつ解消しているものの、彼は元々楽を守るために存在していたことが災いしてか自分から選び取るということがまず無い。

いや、混み合っているから別の道を行こうだとか、掃除よりも洗濯を先にしようだとかそういったことは別にして。

特に言えば欲しい物、彼にはこれがないように思えた。


「私が欲しい物、ですか?」


案の定、目を丸くしてからう~んと悩みだす彼。

以前スーパーで弁当を選ばせた時よりよほど難しそうなのは、クリスマス、ひいてはイベントごとに殆ど縁がない楽と共に居たからだろうか、本人の興味が中々湧いてこないのも無理はない。

けれどそれでも、彼に選んでもらうこと、彼の欲しい物を探すことはとても大切なことのように思えた。

寒いから布団が欲しいというのとは違う、子供が自分のためだけに玩具を選ぶような、そんな純粋な好奇心がいつか彼に生まれれば、と。


「…居間の窓のとこあそこに置こう。んで…クリスマスも、正月も、節分も…レムが選んだもの、一個ずつ集めたいな。」

「私が選んだものを…楽くんがコレクションする?」

「…あれ、そうだな。変な感じになった。」


指摘されて思わず顔を見やる。

しかしそれのなんてヘンテコで面白いことだろうと破顔してしまった。

彼が、レムが選んだものが欲しい。

これは結局自分の欲だったと気づいたのだ。


「…ではこれを。」


ひとしきり笑ってから手にしたのは陶製の小さな飾りで、デフォルメされたにこやかなサンタクロースに子供がプレゼントを貰っている置物だった。

暖かみのある丸みを帯びた全体像で、サンタクロースの表情は穏やかで慈しみすら感じる。

子供の方は受け取るプレゼントを心の底から喜ぶような、大きな口を開けた満面の笑み。

所詮は大量生産の飾り物かもしれないが、それはそれ。

些細な飾り物からだって、こうして暖かさを感じ取れる、それが嬉しかったし、魅力的だった。


「可愛いじゃん。」


レムの選んだそれを受け取り、瞳を緩やかに細めて眺める。

彼が選んだ、クリスマス飾りだ。

毎日節約して、若いながらに仕事も踏ん張って肩を寄せ合い暮らしているのだ。

クリスマスくらい浮かれたっていいだろう。

その日から、簡素で味気ない古びたアパートのとある一室に、小綺麗な生活雑貨が増えた。


白と濃茶で色違いの羽毛布団、カレーを入れるのにピッタリの深皿、石鹸が乾きやすい石鹸置き。


それから窓辺にひとつ、鮮やかな赤いサンタクロースと笑顔の子供の飾り物。

小さな小さなクリスマス。

プレゼントを貰って喜ぶその笑顔は、置物だと言うのに妙に愛らしい。


そして楽は密かにプチ貯金を始めた。

生活を苦にしない程度にコツコツ、少しずつ。レムにも内緒で。

この置物の子供のように、純粋にプレゼントを喜ぶ、そんなレムの姿を見たくなったから。




(6784字)

Happy birthday Saku!