集中力は、断続の連続。
月曜は6年生の自習組が
集まっています。
受験が終わってから
1ヶ月半ほど経ちますが、
受験期よりも活発で主体的な
学びの姿を見ることができます。
少しずつ全体にアドバイスしながらも、
すでに個々の力で解決しようという
動きがはっきり見られ、
このくらいならば放っておいて
いいかな、と思った時には、
間違っていたとしても、
ここの修正を待ちます。
勉強するのは、子どもたちであり、
私の立ち入る場面は段々と
少なくなってきています。
あとは勝手に直すだろうなって。
そんな信頼できる動きが
学びの中に用意されています。
自習は16時から開放してますが、
17時ごろから段々と集まり始め、
MAX3時間ワンセットで
生徒たちは時間を使います。
3時間をワンセットにする
感覚がすでにすごいのですが、
そこを集中しぬいたり、
目的をはっきりもって学んだり
する姿が見られる点がすごいのです。
英語一つとっても、
インプットとアウトプットを
きっちり分けて捉えるような
演習風景が見られるようになり、
一つ一つの動きが目的化していて
素晴らしいです。
同じようなダラダラとした惰性を、
人の脳は好みません。
同じような学習であっても、
今はこんな目的でやっている、
今はこんな方法でやっている、
そんな風に意味付けが的確で
あるという状態が重要であり、
集中力の継続というのはある意味、
惰性からの脱却とイコールであり、
連続性ではなく断続性、
逆説的ですが、細かく細かく
作業を切っていくところに
求められるわけです。
子どもたちの中に、
目的に応じた学習方法が
あるというだけでも素晴らしく、
それを的確に使い分けられるようになれば
わたしの存在は、分からないことだけ
教える、とか、特別鍛えたい応用的な
指導だけをする、とか、
極めて限定的な指導にとどめることが
できるようになりますから、
実際はそんな理想に向かって
整えている途中にあります。
ともかく、3時間をワンセットと
捉えられるくらいの計画性、
段取りの力を持つことが
できるようになってきており、
それは進学後にプラスに
働いてくることでしょう。