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鈴木桂一郎アナウンス事務所

令和4年 2022年2月3日(木) 「歌舞伎座2部、春調娘七草。義経千本桜、渡海屋、大物浦」

2022.02.03 02:16

二月大歌舞伎第2部は、春調娘七草(はるのしらべむすめななくさ)と、仁左衛門が一世一代で務める義経千本桜、渡海屋、大物浦。

春調娘七草(はるのしらべむすめななくさ)は、千之助が美しい。普通なら梅枝が、静御前を務めるところだが、曽我十郎に回る。五郎は萬太郎。千之助は、躍進著しい、ますます美しさが出てきた、梅枝と並んでも、美しいと思わせるのだから、凄い進歩だ。美しい女形が少ない歌舞伎界の現状では、一気に躍り出て、女形不足の救いの主になるかもしれない。万太郎は、小柄だが、力強かったし、梅枝は、抜き衣紋が上品で、涼やかだった。

二幕目は、仁左衛門一世一代で勤める義経千本桜。渡海屋と、大物浦。一世一代というと、高齢となり、自分の当たり役、得意の演目を、お名残で見せるので、枯れた味わいになるものだが、仁左衛門は、その印象は全くない。仁左衛門の、イメージである若々しい華やかささをキープし、力強く、美しさを際立たせていて、仁左衛門が、自分の役者としてのイメージを、若さと美しさに固定して残そうという意図を感じた。

世話物となる渡海屋の銀平は、出からとにかく若々しくて格好がいい。棒縞の着付けに、厚司を羽織り、渡海屋と書かれた傘を差しての出が、実に堂々としていて、颯爽としていた。この出で、これからの芝居が楽しみになってくる。舞台に上がると、まるで侠客のような雰囲気で、最初は下手に出て、「料簡はならんぜよ」、で突っ込んでいく、海運業界の荒くれもの姿がはっきりと分かった。「おかまいしたとしたらなんとする」、で開き直るのだが、暖簾口には、義経連中がいることを見据えて、言葉がきっぱりとして、ちらっと暖簾を向き、義経に、情を掛けていると分からせ、義経に安心させる意図を強く感じた。渡海屋で、とにかく仁左衛門の銀平は、侠客の貫禄があり、格好がいい印象を残した。

二つ目の出は、白装束になって、障子屋台からの出は、勇壮というより、優美で、貴公子然としていて、平家の公達のイメージ。平家方の実質上のトップでありながら、品格を出して、滅びの手前の美を見せた。見得も、力強く、颯爽と決まり、義経との最後の決戦に臨む、武将の固い決意を見せた。

三回目の出は、矢を受けて、重症の手傷、白い鎧を血で染めて、顔にも返り血を浴びて、おどろおどろしい姿だが、気品は失わない。悲壮感に溢れて、いかにも日本人が好きそうな武将最期のいでたちである。蟹見得を始め、かどかどの見得が,力強く決まっていく。刻々と時間が過ぎて、平家の大将として、平家を滅ぼした義経への強い怒り、憎しみの気持ちが、安徳天皇の、「仇に思うな」と言われると、戦意を失い、諦め、天皇を守ると言ってくれた義経への感謝へと、心が徐々に変化していくのだが、その全てが、滅びの美の中に溶けこんで演じられていた。

仁左衛門の良さは、世話物では、目の動き、視線、あごの動きなどをすべて動員して、顔の表情に変化を与え、心の動きを顔で表すのが、大きな特徴だが、時代物にあっては、顔の表現に加えて、四肢の動き、指の一本一本にまで、心を配り、更にせりふ回しに、怒涛の感情表現をするので、心を打たれるのである。臨場感というか、まさに芝居の中に自分がいるように、引き込んでいくのが、仁左衛門の技なのだなと、つくづく思った。若さと美しさをキープし、まだまだやれるのに、という観客の心理を突き、仁左衛門の姿を印象付ける、まさに一世一代の碇知盛だったと思う。