令和4年 2022年2月25日(金) 「歌舞伎座二部、千穐楽、仁左衛門の一世一代義経千本桜、渡海屋、大物浦を見る」
吉右衛門が去年11月に鬼籍に入り、今月は歌舞伎座で、仁左衛門、一世一代の義経千本桜、渡海屋、大物浦が出れば、日生劇場では、松本白鸚のラ・マンチャの男のラスト公演。白鷗79歳、仁左衛門77歳。戦中生まれの歌舞伎役者がこれまで歌舞伎を支えてきたが、時代の移りを感じさせる今月の舞台だった。
仁左衛門の知盛は、今月3度見た。仁左衛門の知盛は、この先観ることが出来ないから、目に焼き付けておこうと思ったからである。今日は、一世一代の芝居の千穐楽、まさに最後の知盛だった。仁左衛門の知盛は、77歳という年齢を超越して、若く、美しくて、勇壮で、健気で、できる事はやったが、残念無念、願いは果たせず、死んでいくのだが、見るべき程の事は見つ、という心境そのままに、昨日の敵は今日の味方という言葉を残し、安徳天皇を義経に託し、潔く死んでいく。その死に方が、平家の中で、猛将と言われた知盛らしく、碇の縄を身体に蒔き、碇を海に投げ込んで、正面を見据えながら、碇に引っ張られて海に沈むのだが、最後の表情に、薄く笑みを加えて、知盛のやるだけの事はやったという諦念と、一世一代の舞台を最後までやり抜いたという、喜びの表情にも見えた。
大物浦に、先程見せた純白の衣裳が全身血に染まり、顏には、ぬめぬめと光って本当の血に見えるメイクを施し、青い隈には死相が見えた。戦闘で喉が渇き、矢を受け、瀕死の重傷を負いながら、安徳天皇が気がかりで、渡海屋迄落ち延びてきたのだ。仁左衛門の荒々しい呼吸が、座席まで聞こえ、臨場感と迫力があった。まるで,平知盛が、瀕死の重傷を負いながら、まさにそこにいるようで、碇を担いで海に入るところも、まさにその現場を見ている現場の証人に自分がなったようだった。今日の千穐楽で、拍手が鳴りやまず、幕が締まっても、誰一人席を立つ人はおらず、最後に幕がもう一度開いて、仁左衛門が、化粧を落とし、浴衣姿で、再登場し、観客の大きな拍手をもらった。
一方、松本白鸚のラ・マンチャの男は、劇関係者にコロナがでて、千穐楽も休演で、公演期間中も、何日もキャンセルになったが、幸い、私がチケットを取った2月16日は、奇跡的に予定通り公演が行われ、ラッキーだった。17日からは再び休演となったのだ。歌舞伎では、よく聞き取れないセリフが、はっきりと聴こえ、歌舞伎と、発声が違うのかもしれないが、歌も、良く通る声で歌い、元気溌剌としていた。染五郎時代の20台から始まったミュージカル、ラ・マンャの男も、今回がラスト公演。歌舞伎風に言えば、これが一世一代のおなごり公演である。仁左衛門、白鸚二人の役者の一世一代の力演を見ることが出来て、幸せだった。健康には、十分留意して、申し少し頑張ってくださいと、心の中で願った。