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5分間法話 R4② (R4.3.1日更新)

2022.03.02 02:39

    

   春立つや愚の上に又愚にかへる  小林一茶 文政6年 (61歳の句)

 この句は、一茶が還暦の元旦を迎えて詠んだ句である。(「春立」現在は立春の意で

あるが、当時は新年を指す語である)。信仰心が篤かった一茶は、親鸞聖人が自らを

「愚禿親鸞」と名乗られ、「煩悩具足の凡夫・ぼんのうぐそくのぼんぶ=欲多く、嫉み

怒りにまみれた愚か者」として生涯を過ごされたことを、一茶自身も生きる指針とし

て仰いで持ち続けていた。『文政句帳』抜粋―「59年の間、暗闇のなかで更に暗い道

に迷い込み、はるかに照らす月影を頼む信心もなく~ますます迷いに迷いを重ねてき

た。諺にもいうとおり、愚につける薬もないのである。なお行末も愚者として、愚に

徹した余生を送りたいと願うのみである。

 1月15日付けのホーム頁で一茶の句を紹介したところ、信仰心が詠まれた句を是非

紹介してほしいという要望が寄せられたので、今回と次回と2回に分けて紹介します。

 ご参考に記しますと、一茶は、松尾芭蕉、与謝蕪村とともに江戸時代の三大俳人と

称されました。生涯で芭蕉は約1,000句、蕪村は約3,000句、一茶は約20,000句を詠

みました。数の上ででは一茶はダントツの数です。正岡子規は一茶の句を「滑稽、風刺

慈愛」と評していますが、私は、際立っているのが信仰心の句が多数あることだと思っ

ています。ただ信仰心が篤いというより阿弥陀如来様や親鸞聖人のみ教えに沿った「信

心」を得られた姿が読みとれます。一茶の俳句を理解する上できわめて大切なことは、

一茶の著『おらが春』や『父の終焉日記』『七番日記』に目を通すことです。句を詠ん

だ背景、事情や心境等が記されているからです。

 一茶の生涯を一言で表現すると「苦悩の一生」と言えます。句や著書を読むと胸が痛

む65歳の人生です。その生活のなかで、弱者への視線、慈愛ある句が誕生したと思わ

れますので、数句については解説を記します。

 年齢順に数句紹介します。〇印句は阿弥陀様が詠まれています。★印は解説も記します。

今回は最初の1、2句を紹介します。

  1. 39歳 寝すがたの蠅追ふもけふが限りかな ★父・弥吾兵衛死亡前日の句

2. 39歳 生き残る我にかかるや草の露    ★父親の収骨の日の句

3. 53歳〇涼しさや弥陀成仏のこのかたは ★

4. 54歳 痩せ蛙まけるな一茶是に有り   長男・千太郎誕生、生後28日で死亡

5. 55歳 亡き母や海見る毎に見る毎に   母・かなは一茶3歳のとき死亡

6. 57歳 這へ笑え二つになるぞ今朝からは 長女・さと2歳の句

7. 57歳 目出度さも中位なりおらが春   ★元旦の句

8. 57歳 露の世は露の世ながらさりながら ★長女・さと2歳 天然痘で死亡

9. 57歳〇ともかくもあなたまかせの年の暮れ ★年末12月29日の句

10. 58歳〇弥陀仏をたのみに明けて今朝の雪 ★

11. 61歳 片乳を握りながら初笑い     三男一女に恵まれたが子はみな夭折

12. 62歳〇みだ佛のみやげに年を拾うかな  ※1月15日のホーム頁で紹介。

13. 65歳〇年もはや穴かしこ也如来さま   ★

 14. 65歳 焼け土のかほりや蚤騒ぐ     ★大火で家は類焼。11月19日死亡。 

1. 寝すがたの蠅追ふもけふが限りかな  父弥吾兵衛65歳で死亡 死亡前日の句。

  一茶は父を敬い慕っていた。5月、父が重い病で床に就いたときは後妻の継母に

代わって看病に明け暮れていた。うわ言で梨が食べたいといった時は村中走り回つて

探したが梨はなく、善光寺の町医者に薬を貰いに行った日は早朝に家を出て、薬を受

け取ったあとは町中を探し回ったがどこにもなく、悲しみに暮れて帰宅したことが

『父の終焉に日記』に記されている。医者から見放されて、一茶は「加持祈祷などし

て仏菩薩のあわれみを乞おうとも思うけれども、浄土真宗では禁ずるところがあると

て、父は許さなかった。」と記している。父親は篤信の信者であった。一茶は、父親

の姿や祖母の姿を見て育ち、阿弥陀様の教えに生かされる身となったのである。「商

売繁盛、無病息災」などなど、仏様は、わが身の欲望を叶えようとして拝むものでな

いことを父は諭していたのである。5月20日の日記―「意識不明の状態に陥られた。

ああ、私の命に替えても、一度はすこやかな父にしてあげたかったものを、食べたい

と言われたものを、いけませんなどと戒めたことも、今となっては悔やまれ。ただ念

仏を唱えるよりほかにたのみはない。」と記してから詠んだ句である。「翌日の午前6

時ころ、眠るがごとく息をひきとられた。ああ、夢ならば早く覚めてほしい」

  2. 生き残る我にかかるや草の露  父親収骨の日の句

『父の終焉日記』―「今までは父をたのみにしてこそ故郷へも立ち寄ったのに、こ

れから後は誰を力に生きながらえよう。心をひかれる妻子もなく、もとより無一物で、

流れに浮かぶ水の泡、風の前の塵にもひとしい身軽な境涯ではあるが、そうなっても

死ねないのが命というものである。」

 句意 生き残ったわが身には、草の上に降りた露よりもしげく、とめどもなく涙が

あふれ落ち、悲しみに呉れている。

 「うつらうつらとまどろんでいられた父の目覚めるのを待っているような錯覚にと

らわれ、悩み給う顔は目から離れず、呼び給う声は耳の底に残り、寝ても覚めても忘

れることができない」

※次回のホーム頁は4月15日ころ更新予定。3句目以後の句の紹介をします。