ウィーン体制16-ベルギー革命
2022.03.02 11:46
フランス7月革命はあっという間にブリュッセルに波及した。1830年8月25日、17世紀ナポリのスペイン総督への反乱をテーマにしたオペラ「ポルディチのもの言わぬ娘」、特に「聖なる祖国愛」の二重唱にインスパイアされた観客は、劇場を飛び出し、政府の建物を占拠していった。
オランダ王ウィレム1世は、フレデリック王子に鎮圧軍を差し向けさせるが、9月23日から26日の「血の市街戦」でブリュッセル制圧に失敗し、26日には臨時政府が設立され、10月4日に独立宣言が発せられ、11月には国民会議が開催される。ものすごいスピードである。
ウィーン体制諸国といえば、11月に開催されたロンドン会議で、独立反対の国はロシアとプロイセンのみだった。イギリス、フランスの支持はもちろんだが、オーストリアのメッテルニヒも、ベルギー独立を支持したのである。12月20日にイギリス主導で議定書ができ、ベルギーの独立が承認された。
31年2月憲法が起草され、7月、イギリスの強い押しで、ザクセン公3男のレオポルド1世がベルギー王に即位した。ウィレム1世は、8月「十日間戦争」でベルギーに侵攻し、軍を打ち破ったが、フランス軍がベルギー支援に乗り出し、撤退せざるを得なくなる。しかしウィレム1世はまだ独立を認めなかった。