禅と師匠
師匠の影響
小川忠太郎先生の座禅は、高僧も理解できないほど高度の座禅でした。しかし先生は、座禅の弟子をとりませんでした。そこで、私は小川先生に「座禅の指導者を紹介してください」と、お願いしました。すると小川先生は「今の世の中に、正しく座禅を指導できるものは居ない。一人で、数息観をやりなさい」と言われました。
数息観とは、息を数える座禅です。現代には、中途半端な坊さんしかいないから、習うと弊害が起きる。だから、坊さんには習わず、座って数だけ数えてなさいと言うことでした。下手な師につくことは、命取りと言っても過言ではないからです。
これは、悪い師の極端な例ですが、私の友人は座禅がしたくて、近くに大きな寺院で坊さんになりました。そこの住職は、本山で位も高かったので、友人はいい坊主だろうと思ったのですが、実は、どこにも居るなまくら坊主だった。
得度といって、坊さんになるとき、頭を丸めてくれた坊さんは、親以上の権限を持つことになっているのをいいことに、座禅なんか全くやらないで寺の雑用ばかり、こき使い、家畜並みの扱いが続いたそうです。
友人は、3年辛抱しましたが、堪りかねて、坊さんを殴り倒し、縄でグルグル縛って逃げ出したといいます。師を見てくれで選ぶと、こんなことになるということですね。
もう一つ。小川先生から聞いた話。「伊藤と言う中尉が居てね。戦争に行くので、立派に戦いたいからと、京都の有名な寺で座禅を始めた。必死に座るもんだから、ドンドン心境が高まって、普通の人が3年掛かる所を、一年もしないで悟ってしまった。それで、師家=指導者が『お前は悟った』と認めた。ところが、本人は、それ位の悟りでは満足しない。『俺が若いからといって、舐めるやがったな。これくらいの悟りが禅なら,俺はもう禅などやらん』と言って、飛び出していってしまった。弟子の気が、上廻っていた。正師に巡り合わないと大変なことになる。
山岡鉄舟は、三島の坊さんを選んだ。それで、三島まで、東京から毎週通った。電車は無かった頃の話ですよ。それほど正師は得難いものなのです。朝東京を出て、夕方三島に着いて参禅して・・・直ちに帰って朝勤めに行く。近くの人に指導してもらえば楽だけど、つまらん奴に教わっては、ろくなことにはならない。やらないほうが増しだと、鉄舟の行いは示しています。
いまは、良い先生が何処にも居ません。連盟に言われるままの剣道になりました。近所の立派なお百姓さんが「ウジ虫はウンコの中が最高の世界だと思っている。世間のやつら奴らのいるところも、ウンコの中とおんなじなんだが、ウンコを食うことに夢中で、気が付かないんだ」と言ってました。剣道も、今の連盟の言う通りが最高だと思っている人は、ウジ虫とおんなじ世界観だと思います。9段の先生方は、連盟の方針に反対していたのですから。