「孫子」第11回 第2章 「目的論」(2)
「政治目的」の第2段階として「繁栄」がある。
「利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず」(火攻篇)
(訳:有利でなければ行動を起こさず、獲得物があるのでなければ軍隊を用いず、危険がせまっているのでなければ戦わない)
この文は、現実に戦争を遂行する場合について触れている。第1の「利に非ざれば」の部分は、国益になる「もの」を獲得することを指し、この「もの」とは古代においては食料、財宝、名声、覇権などの物資・心理的なものを含み、現代ではここから敷衍されて工業・エネルギー資源などの各権益へと拡大される。第2の「得るに非ざれば」は、土地を獲得しようとする場合であり、古代においては、各国の国境近辺において、しばしば農耕地を巡る争奪戦が行われた。土地が増えればそこからの生産物を期待でき、それによって繁栄がもたらされ国力の強化へと紐づいた。近代以降は、資源地域、交通上・経済上の要衝の領土化、植民地化、保護領化といった手段へと変貌していく。第3の「危うきに非ざれば」は、先の「生存」(国家存亡の危機)にまでは至らないが、領土の一部が脅威にさらされるなどの安全保障上のリスクが発生した場合の対応である。
これらの3つのうち、最初の2つは未来に向けてより大きな繁栄を求めるものであり、第3のものは現在の繁栄を確保維持するためとなる。生存が成立している条件下においてはじめて、繁栄が達成するべき目的として考えることが可能であり、このことを踏まえて「孫子」は政治目的を「生存」と「繁栄」に区分し、前者を第1義的、後者を第2義的な目的と位置づけている。「生存」という第1義的政治目的は、二者択一にすらならず、生存を一択するために全力を尽くすほかないが、第2義的政治目的は、その追求の程度によって選択肢や振れ幅がある。少なくとも第1義的なものに比べれば絶対的なものとはならない。したがって、第2義的な政治目的によって衝突が起きた場合、敵味方の双方がその選択可能な範囲を広く持つほどに、交渉によって妥協点を見出すことができる。仮に戦争へと至った場合も、時間の経過や状況の変化とともに妥協点を浮き彫りにさせて講和へと至ることができるだろう。
「孫子」は政治目的を大きく2つにわけて捉えているのは、戦争自体が懐胎するある種の「生命力」をそこに認め、それが何によってもたらされるのかを明確にし、安易な選択によって亡国へ至ることがないように戒める向きがあったと思われる。人間の認識力が不完全である以上、敵味方が衝突している理由が、第2義的政治目的の範疇のことであっても、それが第1義的政治目的であり生存を左右する問題であると錯覚してしまうことがある。繁栄の程度の問題を、即座に生存の問題に直結させるが如き決断に対しては大いに警戒する必要がある。戦争に訴えるべきか否か、それと天秤にかける政治目的のつり合いはどうなのか、それを最後に決断する君主や将軍に対して冷静な知性と決断を求め、「孫子」は次のような一文を残している。
「主は、怒りを以て軍を興こす可からず、将は、憤りを以て戦う可からず」(火攻篇)
(訳:君主は、怒りにまかせて戦争を起こしてはならない、将軍は憤激にまかせて戦闘をまじえてはならない)
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。