まなうらに春夕焼の涯かな
https://www.nhk.or.jp/politics/kotoba/1557.html 【政治のことば 今回は憲法9条】より
憲法9条とは
憲法9条は、1項で「戦争の放棄」、2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めていて、憲法の基本原則の1つ「平和主義」を規定しています。政府は、自衛権まで否定するものではないという見解を示していて、自衛隊は、「我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であり、憲法に違反するものではない」としています。これに対し、憲法学者の中からは、「憲法を文字通りに読めば、自衛隊は違憲としか言えない」という主張が出ています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20220303-00284760 【ウクライナ侵攻で燃え上がる保守派の「憲法9条改正」論】より
ロシア軍のウクライナ侵攻を受けて、日本の保守派では急激に憲法9条改正論が燃え上がっている。
それらの声のほとんどは、ウクライナが明々白々な侵略を受けた以上、もはや憲法9条に意味はない―、日本も同様の侵略を受けないようにするため、早急に9条を改正するべきである―、とするものである。もちろん、従前から日本の保守派はほぼ完全に全部9条改憲論者であって、冷戦時代から9条改正は保守派の一丁目一番地であったのは言うまでもないが、今次のウクライナ侵攻でさらにガソリンを投じたように拍車がかかっている。
読者の理解を助けるために、現状、日本の保守派の中でどのような9条改憲論議があるのかを簡素に以下記す。
筆者制作
1)が伝統的に、冷戦時代から大多数の支持を集めているが、3)が所謂安倍改憲案として浮上(もちろんこれは公明党への納得材料として形成されたものである)してからは、3)も主流になりつつある。
但し心情としての本心は完全に2)である。しかし2)だと流石に、衆参両院での発議はともかく、現実的に国民投票の段で否決されては困るので、心情としてはこれだが、現在の主力は1)と3)である。
4)については少数の極端な保守系言論人がこれまた、ふつふつと唱えておりそのファンに支持されてきたが、日本国憲法のなりたちの背景にGHQの強い意向があったことはともかくとして、現行憲法はそもそも大日本帝国憲法を改正して成立しているので、憲法学の観点から言ってトンデモであり、流石に保守論壇でも相手にされていない。加えてこれを唱える一部の保守系言論人が保守論壇の内部抗争の結果、大きくその権勢を減退させたことから、さらに勢いを失っている。
俯瞰するとこのような情勢である。しかし今次のウクライナ侵攻を受けて燃え上がる保守派の憲法9条改正論は、実際にはウクライナ侵攻とは何の関係もない。なぜなら憲法とはそもそも自国の国家権力を緊縛・拘束するものであるから、他国の行動を拘束するものではないからである。こんなことは義務教育段階で諒解されるべき憲法の基礎である。よって今次ウクライナ侵攻と憲法9条云々の議論は、そもそも全くかみ合っていない。
・現在のウクライナ軍の抵抗は、純然たる自衛権の行使
ご存じのように、憲法9条は自衛権を認めている。目下ウクライナでウクライナ軍がロシア軍に抵抗しているのは純然たる自衛権の行使であって、仮に日本が侵略を受けたとしても、ウクライナ軍と同様の抵抗を行うことについて、憲法9条はなんら制限していない。繰り返し言うが、憲法9条は自衛権を認めており、9条を改正しなくとも、現行憲法の条文を一文字も変えなくとも、自衛隊は自衛権の元、侵略軍に抵抗することは全く何の問題もないからである。
理屈的には、仮に憲法9条的なるものがロシアにも確固として存在していたとして、ロシアにも9条的なるものがあったにもかかわらず、プーチンが侵略をしている。だから9条など簡単に踏みにじられるのだから無意味なのではないか―、と立論するのであれば百歩譲って9条の意義がない、という風な理屈は辛うじて成り立つが、ロシアには9条は無い。
しかし今次ウクライナ侵攻で、日本の保守派が「もはや憲法9条に意味はない」と燃え上がっているのは、擁護的に解釈するならば、次のようにかみ砕くことができる。「護憲派は、憲法9条があるから他国に侵略されることは無い。憲法9条があれば、日本は他国から攻撃を受けることは無い―、とさんざん言ってきたではないか。だがウクライナを観よ。ロシア軍に侵略されているではないか。憲法9条で国を守るというなどは幻想なのである」。こういうことを言いたいのであろう。
確かに一部の護憲派と目される人々が、9条の存在を以て日本は侵略されない、9条こそ日本を守るのだ、と言ってきたきらいがあるのは事実である。しかしその真意は、日本の国家権力を9条で拘束することによって、日本が他国を侵略する準備も実力も一切存在しないことを国際社会に公言する。そうすれば日本周辺の他国はそもそも日本の対外侵略に備えて軍備拡張をする必要性が薄れるのである。
さすれば他国の軍備増強は必然抑制されるはずである。結局それが、日本への侵略意図や侵略実力を粉砕ないしは無効化する。先の大戦(WW2)の反省を踏まえれば、日本の国家権力が9条によって拘束されることで侵略準備を放棄し、自衛のための必要最低限度の自衛力にとどめれば、相手国もまたそれに抗する軍備の拡張ないし装備の積極的更新の必要性を感じなくなる。それこそが侵略を防ぎ、結果的に日本を守るのである―、と、こういう趣旨で護憲派の一部が9条護持こそが最高の自衛策であると言ってきたことはまず事実である。
・いま議論すべきは憲法9条改正論議ではない
ただし、幾ら9条によって日本の国家権力を拘束し、自衛のための必要最低限度の自衛力にとどめたとしても、9条は他国の国家権力に対し無効なので、他国の明確な侵略意図を9条によって完全に瓦解させることができるという考えは、冷戦崩壊以後の国際情勢を鑑みても、また更に今次のウクライナ侵略を鑑みても、些か夢想に過ぎると結論にいたることは仕方がないであろう。
しかしそれは9条改正論議にはまったく繋がらず、自衛力を如何に強化するべきかという方向にもっていくべきなのが筋である。よって護憲派の主力政党である日本共産党も、自衛隊が「軍隊であるかどうか」の解釈はともかく、自衛隊を認める立場である。
現在燃え上がる日本の保守派による「憲法9条改正」論は、根本的にはウクライナ侵攻とは別次元で、何の関係もなく、筋違いの論議が勝手に沸騰している。現行憲法下で侵略に抵抗する自衛権の行使は何ら問題がない事は自明なので、9条の元、如何に通常戦力によっての日本の自衛力を高め、実際に侵略された時にどう抵抗するかの議論こそが必要なのである。ウクライナ侵攻に対して燃え上がる保守派の9条改正論議は、批判的にみれば完全なる「便乗」であり、些か好意的に見れば「憲法の趣旨を知らないが故の無知」が土台になっている、と結論するしかないのではないか。(了)
https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK0900P_V10C13A5000000/【旧安保条約でもあった「密約」疑惑】より
講和発効まで(17)
日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜
2013年5月18日 7:00
戦後の日米関係史には、いくつかの「密約」をめぐる疑惑があった。今回は、いまでは忘れられている密約を取り上げる。
日米間の密約といえば、耳に新しいのは、2009年に岡田克也外相が調査を命じた4件である。いずれも1960年の安保条約改定、72年の沖縄返還に関連したものだった。
岡田外相が調査を命じた「疑惑」
1、1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」
2、1960年、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」
3、1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みに関する「密約」
4、1972年の沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」
■吉田は強く否定
しかしもっと昔にも密約疑惑はあった。51年の旧安保条約をめぐっても密約疑惑をめぐる議論があった。
旧安保条約の要点は第1条に尽きている。
それにはこうある。
「平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる」
1951年
12月24日 吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
1月18日 韓国、李承晩ラインを設定
2月15日 第1次日韓正式会談始まる
2月28日 日米行政協定に署名
4月28日 対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
1月20日 アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
10月2日 池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
12月24日 奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)
要するに極東における平和と安全の維持、日本国内の内乱、騒乱の鎮圧のために米軍が日本に駐留するとする内容である。日本防衛義務が明確に書かれていないため、60年の安保改定がなされるわけだが、それは後の話である。
旧安保をめぐる密約疑惑とは、米軍駐留を認める代わりに、日本も憲法を改正して再軍備する約束を秘密裏にしたのではないかとするものだった。吉田茂首相はこれを強く否定した。
吉田は51年9月27日午前、日本新聞協会主催の懇談会に出席し、この点に触れた。28日付日経によれば、吉田は「特に安保条約には絶対秘密協定はない、再軍備は国力の回復をまって考えるとの点を強調した」という。
ふだんは高姿勢の吉田らしくない物言いが、短い記事からも伝わる。密約疑惑が広がれば、国会での講和条約、安保条約の承認審議に悪い影響を与える。それは内閣の浮沈にかかわる結果をまねくからである。
2つの条約の国会承認とりつけに責任を持つ外務省も、この点に神経をとがらせた。いまでいう、パブリックディプロマシー(対世論外交)なのだろう、「サンフランシスコ会議の解説」と題するパンフレットを発行し、説明につとめた。
組織としての外務省がつくったパンフレットではあるが、安保条約の締結にあたった条約局が関与していたのは間違いない。西村熊雄条約局長がその中心人物だった。
パンフレットは題名を読めば、サンフランシスコ講和条約の説明のように思われがちだが、そうではなかった。28日付日経社説は「日米安全保障条約と再軍備の関係」との見出しで、外務省のパンフレットの紹介から筆を起こす。
それによれば、パンフレットは講和会議の経過については各国全権の発言を簡単に紹介しただけで「解説」の重点は安保条約にあった。特に社説の見出しにもあるように、再軍備との関係に焦点を当てたものだった。
社説はこう書く。
■「再軍備は道義的義務」と日経社説
外務省外交史料館の旧日米安保条約(レプリカ、東京都港区)。日本側は吉田1人が署名した
「一般に日米安全保障条約によつてわが国は再軍備を義務付けられると考える者が多いが、外務省の解釈ではわが国が再軍備を義務付けられたということはなく、再軍備するか、しないかは将来わが国が自主的に決定するものとしている。安全保障条約ではわが国が防御の責任を負うと期待するとしているが、それはあくまで期待であつて義務ではないというのである」
日本の責任への期待とは、条約前文の最後の部分「アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する」を指す。
これが条文ではなく、前文である点にも、意味が込められているのだろう。条文なら具体的な拘束力を持つが、前文は精神規定と説明できるからである。
西村熊雄条約局長(外務省外交史料館所蔵)
ともあれ、日経社説は、外務省の説明にうなずきながらも、「条約上は再軍備を義務付けられたものではない」が、「道義的に軍備の義務を負うものであることは、交渉の経緯や安全保障条約の基礎をなす集団安全保障の考え方からみて当然」と書く。
集団安全保障の考え方として社説が指摘するのは米国の「ヴァンデンバーグ決議」である。ヴァンデンバーグ上院議員については既に述べたが、米国は決議にある「持続的にして効果的な自助および相互援助」を集団安全保障の基本とする。再軍備との関連で問題になるのは「自助」である。
ヴァンデンバーグ決議は60年の安保改定交渉の過程で、日本側が米国の日本防衛義務を新安保条約に明記するよう求めた際にも話題になった。米側はこの決議を根拠に最初は難色を示した。
社説はダレスが述べたという「無賃乗車」にも触れ、「保護国ならとにかく、共同防衛というからにはわが国としてもなんらかの程度で責任を分担することは理屈からいつて当り前であろう」「したがつて道義上は将来再軍備する義務を負ったことは確かであり、ひいてそのために必要な憲法改正を約束したものといわねばならぬ」とまで書いた。
この段階で日経は第9条改正に前向きな姿勢をにじませていたのは、その後の比較的慎重な論調を考えると驚きではある。実際の歴史は、憲法を改正しないまま、自衛隊が発足し、憲法の制約のなかで自助をしてきた。
だからダレスが述べた「無賃乗車」論は、日米関係史のなかでしばしば噴出した。これは「free ride」の訳だろうが、それは1970-80年代には「安保ただ乗り」論として米側の対日批判のなかで息を吹き返した。
日本が集団的自衛権の行使を認めない限り、日米同盟につきまとう問題点である。62年前の問題は、今日の問題でもある。安倍晋三首相の頭の真ん中にも、集団的自衛権、憲法改正の問題はある。
<次ページに51年締結の日米安全保障条約全文>
旧日米安全保障条約
日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。
よつて、両国は、次のとおり協定した。
第一条
平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によつて引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じようを鎮圧するため日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。
第二条
第一条に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。
第三条
アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその附近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。
第四条
この条約は、国際連合又はその他による日本区域における国際の平和と安全の維持のため充分な定をする国際連合の措置又はこれに代る個別的若しくは集団的の安全保障措置が効力を生じたと日本国及びアメリカ合衆国の政府が認めた時はいつでも効力を失うものとする。
第五条
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国によつて批准されなければならない。この条約は、批准書が両国によつてワシントンで交換された時に効力を生ずる。
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、日本語及び英語により、本書二通を作成した。