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<戦後76年> 「平和の俳句」特集

2021.03.06 09:38

https://www.chunichi.co.jp/article/311359 【<戦後76年> 「平和の俳句」特集】より

2021年8月15日 05時00分 (8月15日 05時00分更新)

 戦後七十年に読者からの投稿を募って始めた「平和の俳句」。戦後七十六年の今年も、四千七百八十六句を寄せていただきました。あの戦争の壮絶な記憶、平和への感謝と願い、コロナ禍の日常−それぞれに思いが込められた十七文字。それらの中から、選者の二人、作家のいとうせいこうさん、俳人の黒田杏子(ももこ)さんが選んだ十五句ずつ、合計三十句を紹介します。

平和の句作、衰え知らず ― いとうさん

 『平和の俳句』は衰えを知らない。ここまで何年も続ければ戦争体験者の方々も減っていくし、同工異曲の句がいずれ大勢を占めるのではないかと危惧していたが、少なくとも選句をする限りすべて杞憂(きゆう)でありました。

 そこには改めて思い出された切実な経験や、現在の世相への不安と怒りと改革への意思、あるいは希求されるべきほんわかとした大事な時間の描写があふれていたのです。

 コロナ禍によって家で過ごす時間が増えたり、平和とは真逆の世界が我々の目の前によりはっきりとあったり、それをなんとかしたいと願う心の日々の強まりが詩に昇華したのかもしれませんが、何よりもそれらを『平和の俳句』として書き留める習慣が投句者の皆さんにすっかり根付いたように感じます。

 句はすでに自然にできていて、こちらはそれを募集するだけ。むしろ募集しなければ皆さんのせっかくの俳句が滞ってしまって困るという、いわば逆転現象のような状況があるのかもしれません。

 この夏の分はこうなりました。また次回、お会いいたしましょう!

いとうせいこうさんが選んだ15句

 いとうせいこう 作家。1961年、東京都生まれ。日本語ヒップホップの先駆者と呼ばれるなど多彩な分野で活躍中。「想像ラジオ」「福島モノローグ」など著書多数。2015年の「平和の俳句」誕生時から選者を務める。エッセー「日日是植物(にちにちこれしょくぶつ)」を本紙夕刊で連載中。

驚きと感動につつまれて ― 黒田さん

 凄(すご)い句。すてきな句。魅力あふれる句がどっと寄せられました。驚きと感動につつまれて選び抜きました十五句。これぞ「平和の俳句」という、本年の秀作をじっくりとぜひごらんください。

 ◎前出ひろみさん=ぶち込んでが絶妙。◎藤井千恵子さん=戦地で結核になった兄と、結婚できず生涯を閉じた妹、おふたりの墓前で。◎小玉美津江さん=金子兜太先生は永遠です。◎鹿子木真理子さん=無数の犬達を想(おも)われて…。◎倉島雄太郎さん=この金メダルは凄いです。◎広瀬昭和さん=その髪と爪の存在感。◎神道美知子さん=「ほんとだよ」で決まりました。◎太幡琉美花さん=兜太先生の出身地、秩父・皆野町の中学三年生です。◎黒崎ミヨシさん=許せませんね。◎高山清子さん=カブトムシと兜太先生は重なりますね。◎倉橋千弘さん=九条は富士山。すばらしい発想です。◎板倉亜澄さん=いつも沖縄を想われる作者。同感です。◎太田幸代さん=そんな父上に作者は批判的でしたと…。◎平村欽一さん=いつもスマホでひ孫さんの姿を眺めておられて。◎近藤敏夫さん=身体検査で不合格。おかげで今おだやかな百歳の日々なのですよと…。

黒田杏子さんが選んだ15句

 黒田杏子 俳人、エッセイスト。1938年、東京都生まれ。俳句誌「藍生(あおい)」創刊主宰。「平和の俳句」誕生時から選者を務めた俳人金子兜太(とうた)さん(故人)とは50年近く交流。金子さんらが語る「証言・昭和の俳句」の増補新装版(コールサック社、15日発売)の聞き手・編者。

平和の俳句とは

 「平和の俳句」は、本紙が読者の皆さんから「平和」を自由な発想で詠んだ句を募集し、入選句を紙面に掲載して伝え合う、“軽やかな平和運動”です。戦後70年の2015年1月1日から毎日、17年末まで掲載しました。この3年間の応募総数は13万1288句に及びました。

 「平和の俳句」誕生のきっかけは、14年の終戦の日に掲載した俳人の金子兜太(とうた)さん(18年2月に死去、享年98)と、いとうせいこうさんによる対談でした。

 当時、<梅雨空に「九条守れ」の女性デモ>という俳句が、さいたま市の公民館の月報に掲載を拒否された「九条俳句」問題があり、2人は戦前の新興俳句運動に対する弾圧事件に重ねました。戦争に向かう時代の空気に抗(あらが)おうと呼び掛けたのが「平和の俳句」でした(「九条俳句」問題は、市の違法性を認める判決が18年末に確定。翌19年には市教育長が作者に謝罪し、句も月報に掲載されました)。

 選者は金子さん、いとうさんの2人で始まり、金子さんが体調を崩して退いた17年8月以降は、金子さんから託された黒田杏子(ももこ)さんが後を継ぎました。毎日の連載終了後も再開を望む声をいただき、18年からは毎年夏の特集という形で復活、継続しています。また今年3月には「平和の俳句 東日本大震災10年」も掲載しました。