撃たれたる雉子(きぎす)こそ火の鳥となれ
撃たれたる雉子(きぎす)こそ火の鳥となれ 高資
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/folktale/kijimo-nakazuba.html 【キジも鳴かずば ことわざの意味由来・ルーツの民話・伝説まとめ】より
口は災いの元 長柄橋と久米路橋の人柱伝説とは?
「キジも鳴かずば撃たれまい」は、不必要な発言によって災いを招いてしまった人を憐れむ日本のことわざ。口語的には「余計な事を言わなきゃ、そんな目に合わなかったのに」といった意味になるだろうか。「口は災いの元」というやつだ。
「キジも鳴かずば撃たれまい」の由来・ルーツについては諸説あるが、ここでは有名な大阪と長野の二つの民話について簡単にご紹介したい。実話のように伝えられることもあるが、民話・昔ばなし的に捉えておくのが良いかもしれない
現在の大阪・淀川には長柄橋(ながらばし)というアーチ橋があるが、9世紀の嵯峨天皇の時代にも、これと同じ名前の橋が淀川に架けられた。写真は現在の長柄橋。
工事の際は川が度々氾濫して難航。近くで雉(キジ)が鳴く中、橋奉行らが相談していたところ、近くを夫婦が通りかかり、夫がこうつぶやいた。
「袴の綻びを白布でつづった人をこの橋の人柱にしたらうまくいくだろう」
これを聞いた橋奉行らは、その男(夫)がまさにその通りの格好をしていることに気が付くと、すぐに男を捕らえてその場で人柱にしてしまった。
夫を失った妻は悲しみ、次のような句を詠んで淀川に身を投じてしまったという。
「ものいへば 長柄の橋の橋柱 鳴かずば雉の とられざらまし」
この逸話は、14世紀頃の書籍「神道集」に収められている。
ちなみに、類似の伝説では、次のような句が詠まれるバージョンもある。
「ものいわじ 父は長柄の人柱 鳴かずば雉も 射られざらまし」
長野・久米路橋の人柱伝説
かつて上杉謙信と武田信玄が「川中島の戦い」を繰り広げた長野県の犀川(さいがわ)。その附近にある久米路橋(くめじばし/下写真)には、「キジも鳴かずば撃たれまい」に関連する伝説が残されている。
何度架けても流されてしまう久米路橋を鎮めるため、村人たちは囚人を人柱にすることにした。ちょうど小豆を盗んで捕まっていた男がその犠牲となった。
男は幼い愛娘のために盗みを働いたのだが、幼い娘は「毎晩赤飯を食べている」と言いふらしてしまったために発覚し、父は捕まって人柱にされてしまったのだった。
父を失った娘はそれ以来、悲しみのあまり一言も口をきかなくなってしまった。ある日、娘がたたずんでいると、近くで鳴いたキジを狩人が鉄砲で撃ち落とす光景を目にした。
「キジも鳴かずば、撃たれまいに」
と言って娘は再び口を閉ざし、それから一生口をきくことはなかった。
キジの鳴き声と民謡
キジは草地を歩くためただでさえ猟師に狙われやすいが、縄張り争いのために「ケーン」と大声で鳴くため、さらに狙い撃ちされやすい状況に自ら陥ってしまう。
キジの「ケンケン」という鳴き声は民謡にも取り入れられ、特に有名なのが、長野県の隣の岐阜県に伝わる民謡『げんげんばらばら』。
同曲は、岐阜県郡上市八幡町(郡上八幡)で毎年夏に開催される「郡上おどり」における踊り・郡上節の一つとして知られている。
http://kotodama.xn--9oq386cb2a.com/%E3%82%AD%E3%82%B8%E3%82%82%E9%B3%B4%E3%81%8B%E3%81%9A%E3%81%B0%E6%92%83%E3%81%9F%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%84_%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E7%9C%8C%E6%B0%91%E8%A9%B1/ 【キジも鳴かずば撃たれまい「石川県民話」】より
むかしむかし、犀川のほとりに、小さな村がありました。
犀川は毎年秋になると雨で氾濫し、小さな村からたくさんの死人がでていました。
この村には、弥平という父親と、お千代という小さい娘が住んでいました。
お千代の母親は、氾濫した川に流されて死んでしまいました。
二人の暮らしはとても貧しいものでしたが、父と娘は毎日仲良く幸せに暮らしていました。
今年も雨の季節がやってきました。
お千代はそのころ重い病気にかかっていましたが、弥平は貧乏だったので医者を呼ぶことも出来ません。
「お千代、早く元気になるんだよ。アワのかゆでも食べて元気を出しなさい」
弥平はお千代にかゆを食べさせようとしましたが、お千代は首を横に振るばかりです。
「ううん。わたし、もうかゆはいらない。わたし、小豆まんまが食べたいの」
小豆まんまとは赤飯の事です。
お千代の母親がまだ生きていた頃、たった一度だけ食べた事があるごちそうです。
ですが今の弥平には、小豆どころか米の一粒もありません。
弥平はお千代の寝顔をしばらく見つめていましたが、やがて決心すると立ちあがりました。
「地主さまの倉になら、米も小豆もあるはずだ」
こうして弥平は可愛いお千代のため、生まれて初めて盗みをはたらきました。
地主の倉からひとすくいの米と小豆を盗んだ弥平は、お千代に小豆まんまを食べさせました。「お千代、小豆まんまだよ」「ありがとう、おとうちゃん。小豆まんまおいしいなあ」
「そうかそうか。いっぱい食べて、元気におなり」
小豆まんまのおかげか、お千代の病気はだんだんよくなりました。
地主の家では、米と小豆が盗まれた事にすぐに気がつきました。
お金持ちの地主にとってひとすくいの米と小豆はたいした被害ではありませんでしたが、一応、役人に届出ました。
お千代はすっかり元気になり、外で遊べるようになりました。
鞠をつきながら、楽しそうに歌います。
お千代は、お父さんが小豆まんまを食べさせてくれたことを歌にしました。
その歌を、近所の百姓が聞いていました。
「おや。弥平の家は貧乏だから、小豆まんまを食べられるはずがないが……まあ、いいか」
百姓はその時のことを、さして気にもとめませんでした。
やがてまた大雨が降り出し、犀川の水は今にも溢れんばかりになりました。
村人たちは、村長の家に集まって相談しました。
「このままでは、また村が流されてしまう」
「人柱を立ててはどうだろ?」
人柱とは、生きた人間をそのまま土の中に埋めて、神さまに無事をお願いするという昔の習慣です。
土の中に埋められるのは、たいてい何か悪い事をした人でした。
お千代の手毬唄を聞いた百姓が口を開けました。
「そういえば、この村にも悪人がいたな」「悪人がいる? それは誰だ?」
百姓は、村人たちに自分の聞いた手毬唄の話をしました。
その夜 弥平とお千代が食事をしていると、誰かがはげしく戸を叩きました。
「弥平! 弥平はいるか!」「はい、どうなさいましたか?」
「弥平。おぬしは先日、地主さまの倉から米と小豆を盗んだだろう。娘の歌った手毬唄が証拠だ」娘の手毬唄。お千代はハッとして、弥平の顔を見ました。
「おとうちゃん!」「おとうちゃんは、すぐに帰ってくるから。心配せずに待っていなさい」泣き出すお千代に、弥平はやさしく言いました。
弥平は村人に連れて行かれ、そのまま帰ってくることはありませんでした。
犀川の大水を防ぐため、人柱として生きたまま埋められたのです。
たった、ひとすくいの米と小豆を盗んだだけで人柱とは。
同情する村人もいましたが、下手な事を言うと今度は自分が人柱にされるかもしれません。
お父さんが人柱にされた事を知ったお千代は、声をかぎりに泣きました。
「おとうちゃん! おとうちゃん! わたしが歌をうたったばかりに」
弥平が人柱となった場所で、お千代は何日も何日も泣き続けました。
ある日、お千代は泣くのをやめました。それからは一言も口をきかなくなりました。
何年か経ち、大きくなってもお千代は口をききません。
村人たちは お父さんが殺されたショックで、口がきけなくなったのだと思いました。
あるとき、一人の猟師がキジを狩りに山へと入りました。
山に響くキジの声。猟師は鉄砲の引き金を引きました。
仕留めたキジを探して猟師は草むらをかきわけ、なにか見つけて足をとめました。
大人になったお千代が、撃たれたキジを抱いて立っていたのです。
死んだキジに向かってお千代は悲しそうに言いました。
キジも鳴かずば、撃たれまいに
「キジよ、お前も鳴かなければ撃たれないですんだものを」
「お千代お前、口がきけたのか?」
お千代は何も答えず、冷たくなったキジを抱いたまま、どこかに行ってしまいました。
それから、お千代の姿を見た者はいません。
キジよ、お前も鳴かずば撃たれまいに。
お千代の残した最後の一言が、いつまでも村人のあいだに語り継がれ、
それからその土地で人柱は行われなくなったそうです。