「孫子」第23回 第5章 「戦術論」(2)
第3節 廟算 ― 周到な計画と準備
先に「先知」について触れたが、「孫子」のこれに対する態度は楽観的である。「先知」による未来予測が順調に進む前提で、周到な計画準備の必要を説き、それに材料を提供する様々な見積もり(「廟算」)の段階について言及する。
「夫れ、未だ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わずして廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況んや算無きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見わる」(計篇)
この見積もりを経て想定されるべきことを知り、その上で情報保全に注意しながら周到な計画を立てる思考過程を明らかにしている。
「是の故に、正の与なわるるの日は、関を夷(とど)め、符を折きて、其の使を通ずること無く、郎上に厲しくして、以て其の事を誅む」(九地篇)
(訳:だから、いよいよ開戦と決した日には、所々の関所を閉鎖し、旅券を廃止して使節の通行を止め、宗廟で厳密に廟算して、綿密周到な計画を立案する)
武力戦を勝利に導くための具体的な作戦計画を作る際、どのような原理原則などに基づくべきか、「孫子」の考え方は全篇にわたって散見される。たとえば、謀攻篇、九変篇、行軍篇、地形篇、九地篇、火攻篇などにそうした詳細が網羅され、そこでは地形・地勢の見立て方、火攻めといった「大量破壊兵器」の用い方、城攻めに要する攻城兵器や準備期間などについて詳細が論じられている。
なお、「孫子」はいわゆる「優勝劣敗の法則」をシンプルに受け入れており、自軍を「優」とし、敵軍を「劣」に追い込むべく創意工夫を凝らすべきとし、それを「実・虚」といった表現で表している。
「兵の加うる所、碫を以て卵に投ずるが如き者は、虚実是れなり」(勢篇)
(訳:戦って勝つのは、砥石を卵にぶっつけるように、我が充実した力で薄弱な敵を撃つような虚実の運用による)
そして、この優劣と実虚は「治乱・勇怯・強弱」といった3つの要素に関係するものとしている。
「乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。強弱は形なり」(勢篇)
(訳:乱は治から生まれ、怯は勇から生まれ、弱は強から生まれる。それぞれ本来別個に備わったものではなく、移ろい易いものである。そして、治乱は数(編成)の問題であり、勇怯は勢(戦いの勢い)の問題であり、強弱は形(態勢)の問題である)
この「治乱」とは、制度に基づいて構成されている組織が、実体として現実に機能するか否かの問題であり、組織編制の在り方、指揮統制の在り方が試される。「勇怯」とは、組織全体が活力やエネルギーをどの程度蓄えているかであり、これが十分であれば、「円石を千仭の山に転ずる」(勢篇)のように勢いづいて、組織のなかの強兵も弱兵も一致団結して行動し目標に向けて進むことになる。なお、こうした勢いを引き出してどの程度持続させることができるかは、指揮官の能力に依るところが大きく、そこには戦機や時節の看破、リーダーシップ、マネジメントの力が問われる。「強弱」は、味方と敵の相対的関係や状況によって生ずるものであり、味方の陣容と戦闘態勢が、あるタイミングや地点において敵に相対的に優っているかどうかである。これは、味方の戦力の集中、並びに敵の戦力の分散の程度、地形、即座に戦闘態勢がとれる部隊の配置状況などを含めての判断となる。
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。