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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ウィーン体制19-ギリシャ独立王国

2022.03.08 11:42

1830年2月、21年より続いたギリシャ独立戦争の結果、ロンドン議定書で独立が承認された。当初民族主義の進行を望まない列強は、ギリシャ独立に否定的だったが、ギリシャブームによって市民は独立を支持していた。英国詩人バイロンだけではなく、フランスも義勇軍がギリシャで戦った。

1827年偶然起こったナヴァリノの海戦で、オスマン軍は英仏露艦隊に敗北し、翌28年露土戦争が起きる。29年講和条約の中でギリシャ自治国が決められたが、このままではロシアの影響力が大きくなると、英仏は、ギリシャの独立に舵を切る。特に7月革命の後のルイ・フィリップは、次男をギリシャ王とする野望を持った。

オスマン帝国は、その中で各民族、宗教が自治を認められていたが、フランス革命のナショナリズムの広がりで、帝国が保てなくなった。スルタンマフムト2世は、改革の邪魔となっていたイェニチェリを廃止し、各地の領袖の力を削いだが、それによって軍の力は一時的に衰退し、エジプトと戦争することになる。

列強の介入で、ギリシャは王国とされ、ギリシャと縁のないバイエルン王国の王子が国王となった。ギリシャ人は政治経済から排除されおり、ギリシャは混迷することになる。一方で、残ったヴァルカン半島でも、独立の動きが強まり、列強も介入して民族のるつぼは火薬庫となっていく。