Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

超人ザオタル(58)私の道

2022.03.09 02:16

道で会った瞑想者はアムシャだったのだろう。

私の瞑想の中で会ったことがあると言っていた。

その後を追ったことも、結果的に私を草原へと導いたのだ。

そこで時間はかかったが、気長に待っていてくれた。


私は不運にも岩山から落ちたが、それもアルマティに会うために必要だった。

それはタロマティに会うためでもある。

ふたりに道を説き瞑想を教えることで私自身も成熟したのだ。

思い返せば、ふたりはまるで以前の私の思考のようでもあった。


本当の自分を肯定して受け入れたいと思っている自分。

それを否定して、もっと現実的に生きようとする自分。

その葛藤があの家では起こっていた。

いや、それは私の中で起こっていたことだ。


それを客観的に眺めることで、私の確信を高めてくれた。

もちろん、あの世界ではふたりは現実的な人物だ。

だが、心の奥底では存在でつながっていて、ひとりの存在なのだ。

この世界での現れとして、それはそう起こる必要があった。


この世界のことは分かることもあるし分からなこともある。

それは私がザオタルという身に委ねられているからだ。

世界のことで分からないことがあっても問題ではない。

私は知るべきことをすでに知ったからだ。


さて、そのアルマティとタロマティのふたりだが、あれからも瞑想を続けている。

ふたりにはふたりの道がある。

私はそれを後押しできればと本当の自分についての話をしてきた。

だが、もう必要ないと最近思えてきた。


その理解は十分に深まってきたと思える。

あとは自分自身で道を切り開いて行けるだろう。

ただ、道というものは一筋縄ではいかないところもある。

そういうときでも、きっとアムシャのような存在が導いてくれるはずだ。


いま私は存在がどのようなものかを深く理解している。

すべてが私であるという真実。

ふたりに限らず、いまもどこかで道で迷っている誰かさえ私なのだ。

私はその誰かの化身でもある。


それに対して何ができるのかは分からない。

私が知ったことを言葉にしても、すぐに理解されるとも限らない。

だが、何もしないわけにもいかないのだ。

それが普遍的な智慧の本性としての世界への求めでもある。


そう、存在から世界に広がったものは、また存在に戻るのだ。

それがこの宇宙の本質的な流れでもある。

世界には時間と空間が無限にある。

だが、存在はその無限さえも包み込んでいる。


世界の中で起こることは何にしろ私なのだ。

そしてザオタルにはそれを伝えるための旅をさせる。

真実を世界に行き渡らせ、この世界を真実へと戻すために。

ザオタルは私の化身として、傷つきながら泥臭くこの世界を行く。


ザオタルはそこで何が起こるか知らない。

たいていの場合、世界から歓迎されることもないだろう。

それでもその真実が揺らぐことはない。

存在にとっては歓迎されるかされないかは問題ではないのだ。


強固な個人的エゴの固定概念がそこで待っている。

それは自分の中にあっても苦戦したのだ。

世界という虚ろな塊の中ではなおさらそうなるだろう。

それでも存在の真実は真実として確かに変わりなくあるのだ。