富士重工のバス
今年度をもって、かつてバスの車体を製造していたSUBARUがバスボディ事業の部品供給を終了することが発表されました。富士重工時代のSUBARUはバスボディのリーディングカンパニーであり、観光バスに関しては高級化・差別化が強調されるようになった1970年代後半から1990年代にかけて先進的なデザインのバスを世に送り出し、特に東日本を中心に数多くの車両が活躍していました。富士重工製のバス車体は国産4メーカーのシャーシに対応が可能であり、シャーシメーカーに係わりなく外観デザインを統一できるのが特徴でもあり、魅力でもありました。当時のバス愛好家の中には、富士重工製バスのシャーシメーカーの見分け方に苦労した方も多かったのではないでしょうか。また、バスの写真撮影をする際に同じバスだと思ったらシャーシメーカーが違っていた、なんていうのは当時のあるあるでした。
しかし、仕様統一が富士重工製バスの最大の魅力であったかのように思われがちですが、特にハイデッカーやスケルトンタイプが主流になりつつあった時代の富士重工の観光バスは純粋にデザインが魅力的で、カーブの入ったJベンドガラスや大胆にカットされたサイドウィンドーなどは市場では大好評でした。一時期は、永年純正ボディしか採用しなかったバス事業者が富士重工製バスを採用するなど、観光バスの近代化に大いに貢献しました。
1990年代に入り、三菱ふそうのエアロクィーンを筆頭にバス車体の系列化が進む中でも、富士重工は魅力的な車体を製造し続けましたが、日産ディーゼル(現UDトラックス)がバス車体を西日本車体工業に集約するのを受け、2003年3月に惜しまれつつもバス製造は終了してしまいました。
富士重工が製造した最後のバスが登場してから約20年が経ち、残念ながら現役で活躍する車両は大分少なくなってしまいました。はとバスもかつては富士重工のバスを継続的に大量に導入した時期がありましたが、これらのバスに付いては改めて別の機会にご紹介します。
写真①、②
Jベンドガラスの採用によりスタンダード(標準床)車にもかかわらず高級感を醸し出し、2台で異なるメーカーのシャーシながらほぼ同じ外観など富士重工製バスの魅力を具現がしたような例です。千葉県の両総観光、①が日野、②が三菱ふそうでしょうか。
写真③
通常「合唱ワイパー」とさえ呼ばれたように、ワイパーは垂直に伸びるピラーにそって止めるのが当たり前だと思われていましたが、富士重工は前面ピラーを水平にした展望重視のバスでは何とワイパーを外側(「開いた状態」)で止めるようにするなど常に工夫が見られました。相模鉄道の車両です。
写真④
スケルトン化されたR3の側面1番窓のカットはバス事業者にも大好評で、特別仕様車のみならず汎用仕様の車両でも採用する例を多く見受けられました。当時、貸切バスを積極的に運行していた東武鉄道の車両です。
写真⑤
やはり富士重工といえば、ボルボ社と共同開発したアステローペを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。後部を2階建て構造に出来たのが最大の特徴でした。豪華仕様のバスを数多く保有していた和歌山県の有田交通の車両です。
写真⑥
コーチビルダーの本領を発揮し、スーパーハイデッカーも三菱ふそうを除く各国産メーカーのシャーシに対応しました。館林観光バスは比較的少数であった日野車を保有していました。
写真⑦
生産台数は決して多くなかったものの、富士重工のボディを架装した日産ディーゼルのUFC式スーパーハイデッカーはインパクトがありました。埼玉県の関東観光自動車です。
写真⑧
富士重工にとっては惜しまれつつも最後のスーパーハイデッカーモデルとなってしまった1S型。今見ても格好良くみえる優れたデザインでした。富士急グループの採用例です。