妙好
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
雑誌民藝最新号の特集は、「妙好人(※1)
と民藝」で、読んでいたのですが、その中に
「堪忍の教え 道徳と宗教」という柳宗悦の
文章がありました。
因幡の源左という妙好人の逸話を例にその違いを述べています。抜粋・要約すると、
「道徳」と「宗教」
ならぬ堪忍するが堪忍(※2)、自分が堪忍し
ようとするのが道徳で、自力の行である。
一方、宗教は他力の行。何も仏に任せた身で
ある。自分の力など何の頼りになろう。凡て
は仏仕事であってみれば自分がする堪忍など
は残らぬ。堪忍しようとも、する堪忍がない
。
この後、鈴木大拙館学芸員の猪谷聡さんによ
る「鈴木大拙と柳宗悦の妙好人研究」という
文章があり読み進めます。鈴木大拙と柳宗悦
のとの対談記録から、妙好人には、禅者同様
「一句で答える」特有の語り方があり、また
特有の「聞き方」があるとしています。
話し手が誰かに価値があるのではなく、話し
手に依らず、聞き手が真理を受け取っていく
「聞き方」があるのだと。
全くの偶然ですが、現在読んでいる「ポスト
コロナの生命哲学」の中で伊藤亜紗さんが
「道徳」と「倫理」は似たような言葉に思う
かもしれないがベクトルが全く違うとして次
のようにまとめています。以下、抜粋・要約
「道徳」と「倫理」
道徳は、状況によらない、普遍的な命令。
倫理とは様々な制限のある具体的な状況下で
最善の行動を選択すること。
日本では自己責任論が強く、2000年頃から強
まったと言われ、特にコロナ禍でもその傾向
は顕著だった。自粛警察という言葉もその典
型。重要なのは「〇〇すべきだ」と一般論
(道徳)を振りかざすことではなく、「この
状況で何ができるだろう」「相手はどのよう
な状況にあるのだろう」と探る倫理的な態度
。倫理的な態度の第一歩は「聞くこと」。
違った文脈、違った時代の文章ではあるので
すが、聞くこと、聞き方の大切さにいきつく
ところが、興味深く、今、まさに必要なこと
なのだろうと思います。
話は因幡の源左に戻ります。
「ようこそ、ようこそ」という芹澤銈介によ
る暖簾ですが、それが妙好人・因幡の源左の
口癖からきていることをお恥ずかしながら初
めて知りました。因幡の方言で、歓迎の「よ
くいらっしゃいました」という意味だけでな
く、「ありがとうございます」という感謝の
意味も含んでいるのですね。
※1
浄土教の篤信者、特に浄土真宗の在俗の篤信者を指す語(wikipediaより)
※2
とても堪忍できないようなことを堪忍するのが本当の堪忍である。 だれでもがまんすることはがまんのうちに入らず、とてもがまんできないところを辛抱することがたいせつである。
妙好人のような悟りの境地にはたどり着けそ
うもないですが、聞くこと、聞き方は意識し
ていにたいと思います。
テマヒマは今日も11時オープンで皆様のお越
しをお待ちしております。
ランチのご予約はお一人のみで残り13席と昨
日とは一転お席にかなり余裕がございます。
それでは、好いモノ、好いコト、好いトキを
テマヒマで。今日も好い一日を!