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小國裕美 オフィスイマジン office imagine

震災から11年をふりかえって

2022.03.11 03:39

平成23年の今日、3月11日金曜日だった。14時46分とある。


私の住んでいる地域は少しは揺れていたかもしれないが、わからなかった。

思い出すと私は散歩中で、その帰り、近所の電機屋さんに何かの支払いをしに立ち寄った。


次の日に私は音楽のレッスンに大阪に行くことになっていたので、支払いを済ませておいたのだった。


電機屋さんの奥さんの顔つきから何かあった様子で、東北で大きな地震があったことを知った。


家に帰りテレビをつけると、すごいことになっていた・・・



そして翌日は大阪に行った。

丸亀駅前始発の大阪梅田、なんば行きの高速バスがあり、乗れば楽に大阪に着いた。

梅田の都会の景色を窓から眺め、なんばで降り、南海電車に乗り換え河内長野まで行き、和田さんというお宅に着いた。

声楽の林廣子先生は、東京から出張レッスンに和田さん宅に来ていた。


私は18歳の頃から、林先生の実家である葛飾区に下宿していたので、出会いからもう随分長い。


大阪ではフランス歌曲のレッスンだったと思う。

その頃私はクラシックをしていて、フランス語をやり始めた頃だった。


先生は一昨日の地震を逃れて大阪でいたのだが、和田さん宅に着くや否や、東日本大震災の留守宅の家の様子を携帯電話の写真で私に見せた。

正確にいうと、その写真は先生の伊豆の別荘の写真で、別荘の管理人が撮ったものだった。

舶来のコーヒーカップが落ちて壊れていた。


私の中でそのことを鮮明に覚えていて東日本大震災と関連して思い出す。

そしてカップがほんの一瞬で壊れ、思い出もこわれてしまうということ。

先生は、災害でこんなにたくさんの人が亡くなるのなら、私も死んでもいいわ。

と言った。

助かり、後に残された人も、あまりにも残酷であった。

現に11年経った今でも家族を亡くして一人になった人は、前向きになれないと言っている。

仮設住宅で暮らしている人もまだ大勢いる。


話は変わるが、私のこの11年の間は、あまりにもはやく過ぎた。

フランス語を習うために知り合ったフランス人のケビン、ヴィヴィ、ローラ、セバスチャン。

数少ない香川県在住のフランス人のケビンとヴィヴィとのカフェでのフランス語のレッスンは、とても幸せな時間だったし、今でも懐かしい。

その後ケビンとヴィヴィはフランスに帰ることになり、残念ながらその事実を受け入れた。

フランス人はフランスに帰るのだ。


夫の退職もあり、退職旅行から始まり、度々フランスに行った。

フランスに行けば会ってくれる、フランス在住の日本人のガイドの邦子と弘美は二ヶ国語を自在に話し、すごい特技である。


音楽はクラシックからシャンソンに移行。

フランス人のピアニストのパトリックさんとのパリでのレコーディング、高松でのリサイタル、CDリリースなど

はブログで書いている。


フランス語とシャンソンの充実した日々。

夫はマネージャーのように協力してくれる。


晩年、音楽、歌をやっていて心から良かったと思った。



父も母も愛犬も生きていたし、長い間、父母の子供でいさせてくれた。皆生きている間はかけがえのない日々、幸せな50歳代だった。


ところが、今はミニ鬱になりそうな

コロナとまさかの欧州の戦争。

難題、脅威続きである。


切に世界平和を祈る。


細やかな出来ることを継続しながら

今秋には、ピアニストの鶴ちゃんとコンサートをする予定である。