セッションからの雑感
なぜ、人は
必要以上に
他人の目線が気になるのでしょう?
自信がない
才能がない
勇気がない
よーく聞く言葉です。
これらは 誰かと比較して
自分って…💦
あー、あかんなぁ😭
そんな
感覚なのかもしれません。
それは
もしかしたら
幼稚園の 運動会のかけっこや
小学校での 教科書の音読…
テスト、テスト テスト
の結果
そう思うようになってしまったのかも
しれないし
その
もっともっともっと前の
お母さんやお父さんの言動から
そんな風に
考えるようになったのかも…しれない。
褒めてもらう
認めてもらえる事が
行動の前提になってしまうのは
他人との比較から
くることがほとんど…
逆に
人と比べて
自分、すごい!
とか
あの人よりは わたしは ましやな
あの人に比べたら
仕事できるな
なんて
思ったりもする…
それにつけても
幸せって言葉は便利ですよね…
「浅い単語」
「浅い感覚」
やな、と思います。
いろいろなものを曖昧にしてしまう。
概念としては
ひたすら曖昧なのに
それをみんな 欲しがってる。
事あるごとに
これって幸せ…
そうやって
「思い込むもの」になってたりします。
現状は こんなんだけど
「わたし。幸せよね、きっとそうよね…」
確かめたり 思い込んだり
自分で自分にいい聞かせたり
そう感じたり
なんか
なぐさめてる感もあったり。
そんな様子を、みたり
そんな言葉を聞くたびに
「それ ほんまなん?」と
聞き直してしまいます…わたし。
無理してない?どっかで。
脇汗かいてるで…とか
ツッコミたくなる🤣
そんなに
幸せにこだわる理由
その言葉を使う理由は
なんでなん?
別に そんな単語使わなくても
ええやん。
掘り下げに疲れた人が やるのかもなぁ
そんな風にも思ったり…
すごいものに触れてしまうと
前の自分に戻ることは
もう、できなくて。
知れば知るほど
偽物や中途半端なものには
心が動かなくなります。
それほどに
心震える存在、エネルギー
に
今 わたしは 飛び込んで
触れている
そんな状態です。
枠を一歩外に踏み出すのは
まぁまぁ、勇気が要ります。
でも
知らなかった世界に
飛び込んでみても
即死をするなんてことは
なくて(笑)
あら?
「意外に どうにかなるもんやな」
むしろ
想像を超えて
面白いことが起きるもんやな
と
なんだか
エキサイティングな毎日です。
馴れ合いの 生暖かい関係も
悪くはないけどね
なんせ 飽きる。
澱む。
つまらん。
おもろない。
新陳代謝って
ほんま大事。
新鮮、鮮度
これかなり大事。
新しいもんって
知らない世界って ぶっちゃけ
ドキドキするけどね
自分の恐れや執着を
「感謝」
「恩返し」というオブラートみたいな
言葉でくるんで
後戻りしてはいけない
そんな風に思います。
誰にも頼まれていないし
必要とされるかどうかも
わからない
でも、
つい
やってしまうこと
それは
宇宙からの
オーダーかもしれない。
そこには
純粋なパワーが宿ってるように
思うんです。