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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ロマン派の時代12-ショパンとリスト

2022.03.12 07:10

1831年9月からショパンはパリで暮らし始めた。当時はポーランドからパリに亡命した者も多数居て、パリはボヘミアンのたまり場となっていた。翌32年2月に開いた演奏会では好評を得て、その前にもシューマンは「諸君、脱帽したまえ、天才だ」と書いていた。

ショパンは、ドラクロワなどの芸術家と親交を結び、ドラクロワはショパンの肖像を描いている。当時は演奏会のバブル期だった。勃興したブルジョワは、啓蒙期のようなサロンを作ったが、不穏な哲学や文学は、煙たがられ、喋らずに済む音楽会が勃興したのだった。

そしてショパン以前にその花形となっていたのが、彼より一つ年下のフランツ・リストである。彼も幼少から天才の誉高く、ピアノのパガニーニを目指すと言って、華やかな超絶技巧のピアノを弾いた。「リストの指は6本ある」と言われたくらいである、事実手も大きかった。

さらに、超イケメンであり、ハンガリー出身というミステリアスな出自で情熱的なピアノを弾く。新興上流マダムは、彼の演奏会に押し寄せて失神者も出るほどだった。飲み残した紅茶を香水瓶に入れて持ち歩いたという逸話もある。パリは新しいバブルに酔い、ヴィルトゥーゾ(達人)の時代だった。