Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

その瞬間のこと

2011.03.11 14:44

14時46分。地震。

「あれ?揺れてない?」

それぐらいの揺れだった。そしてしばらくしたら揺れが
強烈になった。机の下にはもぐらずに窓を開けて外を
見た。不忍通りの反対のビルが揺れるのが肉眼で
わかったぐらいだ。あとは音。「ゴー」、「ザー」と言う
不気味な地鳴りが今となっては印象的だ。

窓から下を見ると、車は全部停止。そしてビルや歩道に
いた人は道の中心に非難していた。その頃に揺れは
収まった。と言うか落ち着いた。不気味にゆっくりと
揺れているのが本当に気持ちが悪かった。

すぐ家族に電話をする。

繋がらない。

携帯は繋がらない。会社の電話からかけるが繋がらない。

途方にくれるが仕事に戻る。

しかし、それどころではない。

Twitterを見る。猛烈な勢いでTweetが流れている。

ワンセグをつけたら特別番組に切り替わっている。

依然として電話が繋がらない。

困った。

困っていたら息子が通う小学校の友達のお母さんがTweetを
していた。小学校に迎えにいったみたいだった。藁をもつかむ
思いで所在を聞いてみたら「見ました」との返事。

まずは一安心。本当に助かった。

その後、嫁から家のパソコンから家族の安全を知らせる
メールがあった。どうやらテレビがテレビ台から落ちている
みたいだ。アナログテレビなので相当重い。怪我が無く
本当に良かった。

その後、しばらくネットの情報やワンセグからの情報を
見ながら徐々に拡大する被害の模様に愕然とする。

会社では各所に赴いている職人さんの安否確認。

携帯は繋がらない。会社からの一斉メールで公衆電話
より安否の連絡をしてもらうように連絡をする。

日が暮れたあたりで外を見ると大渋滞と家路を急ぐ人。
かつてこんな人が不忍通りを歩いた事があるか?と
思うぐらいの人が歩いていた。何故かと言うとすべての
電車が止まっているから。そして今日中に復旧する
見込みは無いからだ。みんな徒歩で帰らざるを得ない。

その後、職人さんの安否確認が終了したのは午後11時
ぐらい。ひとまずひと段落したので自分も帰路へ。

外はまだまだ大渋滞。荒川サイクリングロードは真っ暗
だし、余震の心配もあったので大通りを使い帰った。

不忍通りから122号を通り17号に出た。いずれも大渋滞。
今まで体験した事がないくらいの渋滞だった。

渋滞をスルスルと・・・・と行きたいところだが、こういう
渋滞ほど危険な事はない。車道を横切る人がいたりして
突然の飛び出しがよくあるからだ。

結果的にほぼ徐行で帰った。歩道を歩く人が異常に多
かったのが凄く印象的だった。

帰宅したのが日付変更線を超えて12時30分頃。

嫁の顔、そして眠りに付く二人の息子を見て力が抜ける。

無事でよかった。

その後はテレビを動かしたり、翌日の準備などをしていた。

疲労は半端ないが、なんだか変に興奮してあまり寝付けない。

そんな一日でした。