私は乳酸菌であり、その観測者である
いま私は仕事がら「トラブル対処」がとても多い。
営業のように売り上げをあげることよりも、
いかに「いつもどおり」毎日をおわらせることができるかということがおおい。
逆に言えば、いかに「いつもどおりの自分でいられるか」ということでもある。
トラブルに振り回される形になり、最終的に自分のパフォーマンスがおちてしまい
別の仕事をつくってしまったり、ミスにつながってしまうからだ。
一日を気持ちよく終えるために、
気を付けねばならないことを改めて考えてみた。
一貫しているのは
「いつもとは違う」という事に振り回されないことである。
いつもなら対処できるレベルではないことが起きるから
僕はそれに振り回されてしまうというわけだ。
これはだいたい「仕事量としてはたいしたことがなかったが心労がたたっている時に
やらなければならない仕事量が大量に追加される」ときにおこるのだと思う。
緊張して、判断力と安心を失っているところに
単純な仕事量を追加されると参ってしまうわけだ。
普段私は「常に」聞こうとしている。
これは無意識に行っていた昔からの癖なのだが、
現実世界で起きることにはだいたい説明がついて
「ありえない」ことが起こるのはだいたい予兆を
じぶんが見逃していると気がついたからだ。
単純な比喩を使えば、
同じ職場の人間の不機嫌が簡単に大きな亀裂を生み出したり、
そのしわ寄せが自分に飛んできたりすることがあるのだ。
この癖は、恩師である方が軽んじ蕪村という方の話を聞いたことによる。
軽んじ蕪村とは、○のことであり
彼は会う人会う人に「私はあなたのことを軽く見ません。いずれは悟りを開く偉大な方です。尊重します」
といって拝んでいた人だ。この修行をおこなうことで彼は徳を積み
偉人になった。
僕らもその人のうわべを見たりするのではなく、
その人の発揮されていない潜在性、その人の中の光に着目してみようじゃないかという話だったのだが、
この見るということが気がついたら聞くということにシフトしていって癖になっていった。
その人の中の望ましさを発見しようからすべての物事の潜在性を聞こうになっていたのだと思う。
どちらも発見しようとする姿勢は同じである。
それを一年二年と続けていると物事の違和に気づけるようになったのだ。
まるで、水の中に石をなげこんだ波紋のように起きたことには原因と結果があり、
その影響と連動している。
これを見失わなければ、
自然と自分がやらなければいけないこと、が
的外れなことになりにくい。
物事の関連性がわかるので、
対処しなくてはいけないことが明確になる。
これを24時間365日やってるつもりなのだが、
どうもお留守になってしまうことも多い。
それが振り回されてしまうことの発端だと思う。
というか、これは無意識の癖だった為、
出来ている時とそうでない時が多いことに気がついた。
思いのほか集中力を使うのだが、
この聞くことと、現実問題の仕事をきれいに裁けたときはなんとも気持ちがよい。
どちらか片方だけだとなんだかもやもやしてしまい、どちらもできないと
後味がさらに悪くなってしまう。
この聞くというのは、
いうなれば神の観測なのだと思う。
まだ見ぬ可能性の観測なのだと思う。
昔ヤクルトの工場見学にいったことがあるのだが、
ご存じの通り、ヤクルトは乳酸菌入りの飲料である。
工場では製品化したものを任意に選び出して
適正な量の乳酸菌が入っているか調べる
コロニーカウンターという機械がある。
それで何万という数の乳酸菌が適正な数であるか確認するのだ。
ミクロの世界の数をカウントする機械なのだが、
この作業に感銘を覚えた。
乳酸菌が適切に入ってるかだなんて消費者は
知る方法がないのだが、
それらにきちんと責任をもって観測するわけだ。
ミクロな乳酸菌ひとつひとつを算出するのだが、
僕が乳酸菌の立場であれば大変嬉しい行為だなと思った。
ここまで見られている見て貰えるというのは絶対に嬉しいに違いないと思ったのだ。
世界に創造主がいるとすれば、人間はこのように見えていて
もし神もまたヤクルトと同じようにミクロな僕らまで観測してくれているのなら
たまらなく嬉しいなと思った。
この体験から
みな人は自分を観測されたがっているという感覚をぼんやりと発見したのだが、
実際この観測をされる為に、
多くの人が無意識に迷惑をかけたりミスをしたりすることもある。
これを事前に観測することで、トラブルの火種をちいさくもできるし、
なにより、このすべてと目を会わせる感覚が産まれてる。
耳を澄ましているのに目が合うというのはまた奇っ怪な表現であるが、
おそらく、こちらが耳を澄ましているうちに
相手も意識されている事に気がつき目をこちらに向けてくれて視線が合うのだと思う。
森羅万象すべてのものが観測されたがっていて、
それを見守りつつ、現実問題もきれいに解決していく。
なんとも言えない世界に優しいことをしている気分になってくる。
あぁこの観測するということはなにげないけれど、
とても大切な「自分」の仕事なのだなと感じた。
何か特別なことができる、するというわけでは全くないのだが、
ぼくは乳酸菌という活動をしながら、
神の目線で、すべてを観測するという二重性があるのだと発見した。
これがあるからおそらくぼくらの名前は人「間」という間という文字があり、
神と人の間なのだろう。
この全く異なる活動を求められるから簡単に物事が進まないのだ。
むしろそれがそつなく出来る人というのはそんなに多くないのだと感じたし、
ちょっと能力が低いからといって焦っていきなくてもよいと思った。