Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

渋谷昌孝(Masataka shibuya)

彼シリーズ「証明が逃げる」

2022.03.13 15:14
それは全身全霊を捧げて取り組んだ問題であった。昼夜を問わず、脳髄が焼き焦げて蒸気を発するかの如く激しい苦行の賜物であった。彼は何日も徹夜に徹夜を重ねてやっと重大な数学的定理を証明したのだった。それがいとも簡単に無きものとして破棄されてしまったのだ。彼の困惑と失望と喪失感は尋常ではない。彼の労苦は、詳細な吟味をされないままに水泡に帰してしまったのである。だが、これは彼に限った話ではなかった。審査した教授の説明では証明された数学定理は破棄されたのではなく「逃走してしまった」というのだ!

「証明が逃げるなんてことはあるんでしょうか?」

「それは当然あり得ることですね。最近ではとくに顕著な傾向ですから」

「逃げた証明はどこにいってしまったのでしょうか?」

「さあそれは私の関知することではありませんが、ことによればまた戻ってくることもあるでしょう。そのときは再度、証明は証明として復活するのです」

「まったくわかりません。いったい何のための証明なんでしょう。誰にも動かす権利がないものこそ真に証明されたものではないですか?いったん証明された真理は歴史の石板に刻まれ、絶対的な地位を獲得するのが筋ではありませんか?」

「そのようにおっしゃる気持ちは分からないわけではありません。確かにかつてはそれが常識でした。しかし、それでは証明自身に自由の権利がありません」

「証明自身の権利ですって!」

「そうです。22世紀になってからというもの、平等の権利意識が過剰なまでに強くなり、頂点に達しましてね」

「それにしても証明自身の権利とは何ですか?」

「平等であることの意識は、絶対的な証明にまで及んだのです。絶対的な定理とて定理であることから逃走して自由になる権利があるのです。定理になったとしても、定理であることをみずから放棄する自由を認めたのです」

「それで証明も逃げるというわけですね」

「ご理解頂けましたか。確固たる証明にも自由に動き回る権利が保障された。そして証明だけを例外的に囚人扱いはできなかったのです。時代の要請であり仕方のないことでした」

彼は教授の淡々とした説明に一度は納得したものの、学問の成果があやふやになることには疑問を持たざるを得なかった。証明が証明とされず、それも気まぐれに戻ってくることもあるなんてあってはならない話ではないか。そもそも証明に自由の権利を認めること自体が矛盾している。正当な手続きで証明された定理は、万人に共通した普遍的な価値を持つのであって、その価値を保障するものこそ、誰も動かすことのできない不動性にあるのはずだ。それにもかかわらず証明に人権のような動く自由を与えるなんてどうかしていると思った。基準となるものが基準でなくなってしまうなんて!世界の関節が外れてしまったのか?変だ。でもどこが変なのか?彼は必死になって思考を巡らせた。そうか!そうか!世の中は確率的になったのだ。しかし容易に受け入れ難い事実である。権利の所有者は権利自身が有するべく自由の権利のために、かえって不自由になってしまう。権利の所有者は確率的に所有者なのであって、これはつまり法律が破綻してしまったのに等しい。法律の破綻とは、他ならぬ秩序の破綻と同じことである。

「確率的な世界になったということですね」

「相対的とも言えるでしょう。国民が希望したことです」

「確かに平等ではあるようですね」

「資本主義の不条理と脆弱さが露呈した結果です。資本主義はその末期に集中砲火を浴びたのです。確率的経済なら資本を蓄積できませんからね。所有する必要もありません。全ては確率的に決定されるのですから。所有権などの権利は確率的に決まるので、誰も率先して所有しようなんて思いません。獲得されたものもすぐに手元からするするとまるで鰻のように逃げだしてしまうのですから。得るも奪われるも神のみぞ知るです。あなたの立派な証明もこのような塩梅にどこかへ逃げていってしまったのでしょう。でも、あまり深刻になる必要もありません。また手元に帰還するという運命も残されていますからね。そのときは、あなた以上の証明がたんまりと〈ご褒美〉のよう降って湧いてくるでしょうから。とは言っても確率の問題ですがね…」