【こ】絞死刑・こんな話(私的埋蔵文化財)
日本アート・シアター・ギルドというのがあって、その劇場では小難しい映画を掛けていた。大阪は梅田の「北野シネマ」。昭和43年、私は大学二年生(?)、大島渚監督作品を時流に煽られるようにたまに観ていたが、なんだかよく分からなかった。
妻の小山明子と小松方正、戸浦六宏、佐藤慶など、いつものメンバーで次々作られる作品は、一応観ておかねばならない気分ばかりを誘発していた。それは当時の学生がみんなポケットに入れていた「朝日ジャーナル」と同じだった。
取り上げられたテーマに関心は持てるのだが、映画が分からないので面白いとは言えなかった。それにしても、主演男優が住所をパンフレットに掲載して感想を求めているなんて、ビックリしてしまった。
「こんな話」の方はまったく記憶になかった。しかし、主演した平田満の事を久しぶりに思い出した。劇団つかこうへい事務所で活動中の舞台をたいてい観ていたからだ。
「熱海殺人事件」「戦争で死ねなかったお父さんのために」「いつも心に太陽を」「蒲田行進曲」、どれも楽しい芝居だった。普通の大学生をつかこうへいが役者にした俳優である。同じ時期に風間杜夫が一緒に舞台に立っていた。二人の芝居が本当に楽しく、つか芝居を探し求めて観ていた三十歳頃は、観劇の青春時代だった。
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「こんな話」のパンフレットにこんな大きな壁新聞の付録がついている。南アフリカのアパルトヘイトについての議論である。この頃の演劇が、単なるエンタメではなく社会運動的要素もたっぷり持っていたことが分かる。これが1988年のこと。
三十数年たって、こういった機運がすっかり演劇界になくなった。ひたすらエンタメに加速していく業界は、問題提起するようなことはなくなり、しゃにむに消費者のニーズに応えようとするモノになっていった気がする。
エンタメはいつも社会と連動しているものだから、あの頃の観客にあった意識が、今ではすっかり消えてしまったということでもあるだろう。その結果、世の中がどうなったのか。噛みしめてみる必要はあると思う。