内観の俳句
http://gokichikai.jp/naikanhaiku.html 【内観の俳句】より
高野圭介(虚石)
客観写生
花鳥諷詠
歳時記「花鳥諷詠」の序文に、高浜虚子は「俳句は詩として諷詠する」と言っている。
虚子は「客観写生とは自然を尊重して具象的に表現すること。
まず観察することが基本ですが、それを繰り返していると、対象が自分の心の中に溶け込んできて心と一つになる。そうなると心が自由になり、最も心が動くようになる」と言っている。(詩歌文学館賞受賞のことば)
虚子が句作の方法としての「客観写生」を提唱するのは大正時代であったが、昭和初期になると「花鳥諷詠」というスローガンを打ち立てた。
その主張は最晩年まで変わらなかった。
虚子自身の作品から、「客観写生」は「花鳥諷詠」のための技法であり、「花鳥諷詠」が実作の概念であったと見る方が正確である。
虚子の代表句はいずれも客観写生句でなく主観写生句である。
春風や闘志いだきて丘に立つ 去年今年貫く棒の如きもの
爛々と昼の星見え菌生え たとふれば独楽のはじける如くなり
心が動く
客観写生の問題点は、詠む対象及び表現方法を決める行為そのものに作者の入る以上、100%客観的な句は存在しえないということである。
芸術である以上、写真と同じく、結局何かに焦点を当てる必要があり、焦点の選択過程で主観が入る。つまり、客観写生と主観写生は主観の濃度のちがいであり、客観写生は主観を抑制して事物の根源に迫ろうとする表現方法である。
ともあれ、作句に当たり、心が自由になり、最も心が動くようになる」と言っているのに注目した。いったい心とは何だろう。
心は何気なく使っているが、心は人間の中にあって目に見えないもので、神秘的な霊魂とか、心霊写真に写るガスような形のある物質ではなく、心は人がふだん何かをしたり話したり考えたりするときに働いている脳の働きです。
心とは何か?
心と言えば、思考、記憶、感情、などをイメージするかも知れない。
確かにどれも心に関係した言葉であるけれども、どれも心を正確に説明する言葉とは言えない。というのも、心=思考とは言い切れないし、心=感情とも言い切れないからだ。
でも、心にはいろんな意味あいが含まれるから。正直、定義するのは難しいと思う。
実は、心理学でも「心とは何か」を定義していない。改めて、心とは何か?その答えが、仏教の中にある。心とは、「対象を認識する機能」のことと。
認識と言うのは単に「知る」というような意味だ。つまり、人間の心は身体に依存して機能していると言える。
もっと言うと「対象を認識する=生きる」ということだ。
言い換えると、生きるということは、常に何かしらの対象を認識しているということになる。
心は 認識・精神
心という言葉は日常生活上では殆ど使用されないが、文芸の中では使用されている。つまり、心は人の身体に対する精神作用として、知識、感性、意志。
更には、思慮、配慮、気分、望み、意欲、意識、用心、気分、気質、個性、性格、人格、道徳など。
比喩的には、趣き、風情、趣向、意味など。
一方、精神医学上では、心は精神、理性、知性、悟性、認識、知識、本音、気分、愛憎、苦楽など。また、本能行為と密着する感情、喜怒哀楽の情動など。
本能行為と心
さて、ここに、本能行為と心に付いて人は生物の一つとして、生存に必須な食、性、護身の三大本能を持っている。
この本能の働きには、摂食、性、身の保全を中心に無意識下で活動しているある物がある。それが心と言えるでしょう。
それがいつの間にか、本能から心が主体となり、人の性質、状態、認識、行為を支配するものとして君臨している。
ここで、虚子は作句に当たり、
「心が自由になり、最も心が動くようになる」と言っているのに注目したい。
内観する」
哲学のジャンル
虚子自身のいう「客観写生」は、趣き、風情、趣向、意味など自分を主体に外部を観察写生です。私はもちろん虚子の「客観写生」を遵守しますが、一方で、作句の姿勢を自分の意識やその状態をみずから観察するといういわゆる「内観する」哲学のジャンルに置いてみたいと思う。
内観俳句 虚石 詠
月光や正直にして真っ直ぐに 幸福は歌うがごとし歳暮るる
天高し旅は漂泊好奇心 雪道も自分で燃えてまっしぐら
【内観】
内観とは、もともと、自分を反省するための浄土真宗系の一派の修行「身調べ」から生まれたものです。この身調べから宗教的な要素を取り除いて、誰にでも実践可能な自己探求法・自己反省法として、吉本伊信氏によって確立され、広く効果が認められているものです。
内観では、自分がこれまでの生涯で、①他人からしてもらったこと ②他人にして返したこと ③他人に迷惑をかけたこと--の3つについて、時代と対象を区切って丁寧に思い出していくという作業を行います。
すると、自分は両親をはじめとする周囲の人物から非常にたくさんのことをしてもらっているにもかかわらず、自分は周囲に大したことをして返しておらず、むしろ多くの迷惑をかけてきたという事実に気づき、すなわち自分の自己中心性を自覚し、反省し、他者への感謝と奉仕に向かっていくことができ るようになります。
●内観セミナーに、ぜひご参加を。
本来、内観は1週間集中して実践するのが望ましいのですが(「集中内観」といいます)、時間がない方のために、まずは皮切りとして1日だけ実践する方法もあります(「1日内観」といいます)。
【内観応用瞑想】~被害者意識からの解放~
1.不満に思っていること Ⅱ.後悔していることを内省に付け加えることをお勧めします。奥深い自分が何を望んでいたか=真実の願いを知るためです。
現実は意識の現れです。現実から意識を観ることのお勧めです。一頃「少女パレアナの幸せ探しゲーム」が 注目されました。これは幸せの青い鳥探しの「チルチル・ミチル」に通じるものがあり 「幸せは自分の内側にあるもの」「幸・不幸は自分の選択次第」的な「知足」の幸せ観と言えるのかもしれません。
応用瞑想は 起きて欲しくなかったこと、望まなかったことも 「実は自分が望んだことだった」と気づくまで 続けることが大事です。自分が自分の人生の主人公だと実感する瞑想かもしれません。それは自分の人生脚本を観、書き直すことにも通じます。
このようにして自然にわき起こる感謝はセルフエスティムを高め、全てへの畏敬の念を育む力となります。自然にわき出る感謝は泉となり感謝の波紋を広げ続けることでしょう。
【内観応用瞑想を深めるためのヒント ~リセット~】
内省の問いかけ(ヒント)。(自分を責める道具にしないでください。)
①不満に思っていること、後悔していることを 時代と対象を区切ってアルバムをめくるように ただ観ていく。
②今を制限している不満、後悔している体験を一つ選ぶ。
③その体験を思い浮かべた時の体の感覚は?
④類似した体験、原初体験は?
⑤その結末は?
⑥その経験から学んだことは?メリットがあるとしたら?
⑦本当はどうあって欲しかったか。自分はどうする必要があったか。
⑧何を恐れているのか?
⑨願いが叶えばどんな最悪な事態が起きるのか?
⑩願いがかなった自分を思い浮かべた時の体の感覚は?
⑪根底となっている価値観、思考パターンは?
⑫誰かへの願いや期待との関係は?
⑬遺伝子レベル (先祖)家族で同じ傾向のあるものはいないか?
⑭歴史的レベル(過去生)カルマとの関係。
⑮アロアー(ありのままでいいよ。かけがえのない大事な存在だよ。
愛しています。よく頑張ってきたね。ありがとうetc.)
⑯真実の願いを観る
⑰願いの実現のため 今できるスモールステップを決める