「孫子」第37回 第6章 「管理論」(7)
第7節 マネジメントと接遇
「孫子」が説く組織マネジメントと部下への接遇スタンスを簡潔にいえば、「アメとムチ」の巧みな運用ということになる。孫武は部下を「嬰児・愛子」(赤ん坊や可愛らしい我が子)のように労わらなければならないが、度が過ぎれば「驕子」(わがまま放題の子)になってしまうとし、そのことに留意しながら組織内では信賞必罰であるべきだという。計篇の「七計」に「賞罰孰れか明らかなるや」とあるように、信賞必罰によって組織は健全さを保ち得ると考えている。ただ、孫武はこれのみで組織が機能するとは単純に結論づけておらず、人間の持つ自尊心から「やりがい」についての配慮を促し、自律性に訴えることも仄めかしている。孫武は次のようにいう。
「諸侯を屈する者は害を以てし、諸侯を役する者は業を以てし、諸侯を趨らす者は利を以てす」(九変篇)
マネジメントの領域からこの文を読めば、「害」は「罰」に、「利」は「賞」に該当し、「業」は自らが率先して行う業務や仕事といった意味合いになる。孫武が生きた時代の軍隊は、現代のような職業軍人が主体となって必要な教育を受け、高度な専門性を持つプロたちで構成される組織とはいえなかった。強制力によって召集された人々で構成した軍隊を機能させるのに、信賞必罰こそが組織を自壊させないために必要であるとした。他方で、将兵自らが「したくなるような仕事」「しなければならない仕事」を自覚するほどに、組織体としてはさらに強くなることを踏まえた上で、この「業」を持たせるための腐心を含めたといえる。孫武が固有編成に拘らず、必要に応じて臨時編成を行うことに柔軟であったのは別の個所でも述べたが、その際に定められている法令を杓子定規に守らずに抜擢人事などの許容も推奨している。意志や実力を本位として重要任務を託す抜擢人事などは「業」を強く自覚させ、その効果を見据えたものだといえる。
軍隊という組織は普通の組織体に比べて、強いストレスを受けることを想定して作られている。ただ、それが厳しい規律や訓練によって鍛えられているとはいえ、実戦においては組織が摩耗すれば限界点が現れ、その兆候をいろいろな形で示すようになる。指揮者・管理者の仕事は部隊や組織をどうにか瓦解させずにマネジメントを続け、任務達成まで導くことであるが、強いストレス下において組織から露呈してくる危険な兆候について、孫武は生々しい言葉で注意を喚起する。
「諄々間々として徐(おもむ)ろに人と言る者は、其の衆を失える者なり」(行軍篇)
(訳:ねんごろに、こっそりと、もの静かに部下と話をしているのは、部下の心が離れているのである)
この文は敵へ情報活動を行った際の分析や評価の基準として挙げられているものだが、組織マネジメントの立ち位置から読めば多くの含蓄がある。ここでは、指揮官などの立ち位置にいる者が部下の兵士たちへ卑下や遜りの態度で接しており、指揮官が部隊のなかで威厳を失い毅然とした態度を貫けなくなっている。戦場において、兵士は指揮官の有能なリーダーシップを期待するが、指揮官が狼狽や動揺を抑えられずに自信のない態度を示すと、兵士はとたんに不安に駆られて部隊の統率は失われていく。戦場においてひとたび将兵間の信頼関係が損なわれると、それを挽回しようとして小手先のテクニックを用いても限界があることを示してもいる。
「数々(しばしば)賞する者は、窘(くるし)むなり」(行軍篇)
(訳:しきりに賞を与えているのは、その部隊の士気が低下して困っているからである)
「数々罰する者は、困(つか)るるなり」(行軍篇)
(訳:しきりに処罰が行われているのは、その部隊が疲労し、規律がゆるんでいるからである)
これらも敵情を判断する上での文となるが、賞罰を乱発している兆候が見られるのは、すでに組織として士気の低下、規律のゆるみが相当起きていることを示す。指揮官はこれを回復させようと賞罰を多用するが、賞を乱発するほどにその価値は薄れ、罰は乱発すれば不信や反発が増える。こうなると賞罰の効果が失われるだけであり、指揮官はこうした状態になる以前にマネジメントの在り方に留意しなければならない。これについて孫武は次のようにいう。
「先に暴にして、而して後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり」(行軍篇)
(訳:はじめに乱暴に扱っておいて、後になって部下の離反を心配するのは、部下を扱う道に精通しないことの極みである)
規律、階級、地位があっても、指揮者・管理者は部下兵士の自尊心を無視して乱暴に扱うようなことを平素から慎み、組織マネジメントを巧みに継続させていくことを要求している。孫武自身が将軍であったことも関係していると思われるが、その指揮者・管理者といった軍事的指導者が持つべき倫理水準はそれなりに高いものだ。
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(本文は河野収氏『竹簡孫子入門』の要約を基本とし、読み下し文・訳文はオリジナルから引用しておりますが、それ以外の本文は全て新たに書き換えております。また、必要に応じて加筆修正、構造の組み換え、今日適切と思われる用語への変換を行っております。原著『竹簡孫子入門』のコピーとは異なります。)
筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。