雉(きじ)三春
https://kigosai.sub.jp/001/archives/1985 【雉(きじ)三春】より
【子季語】雉子、きぎす、きぎし、雉子の声、焼野の雉子
【関連季語】雉酒、雉笛、雉の巣
【解説】
雉の雄は、春、「けーんけーん」と鳴いて雌を呼ぶ鳥である。飛ぶ姿よりも歩いている姿を見かけることが多い。「春の野にあさる雉(きぎし)の妻恋ひにおのがあたりを人に知れつつ 大友家持『万葉集』」のように、妻恋の象徴として詠われていた。
【来歴】『毛吹草』(正保2年、1645年)に所出。
【文学での言及】
春の野のしげき草葉の妻恋ひに飛び立つ雉のほろろとぞ鳴く 平貞文「夫木和歌抄』
【実証的見解】
雉は、キジ目キジ科の鳥で日本の国鳥である。北海道と対馬を除く日本各地に留鳥として棲息している。大きさは雄八十センチ前後で雌は六十センチくらい。雄は全体的に緑色をおびており、目の周りに赤い肉腫がある。雌は全体的に茶褐色。雌雄ともニワトリ似て尾は長い。繁殖期の雄は赤い肉腫が肥大し、なわばり争いのため攻撃的になり、ケンケンと鳴いて翼を体に打ちつける「雉のほろろ」と呼ばれる行為をする。
【例句】
父母のしきりに恋ひし雉子の声 芭蕉「笈の小文」
ひばりなく中の拍子や雉子の声 芭蕉「猿蓑」
蛇くふときけばおそろし雉の声 芭蕉「花摘」
うつくしき顔かく雉の距(けづめ)かな 其角「其袋」
滝壺もひしげと雉のほろろかな 去来「続猿蓑」
柴刈に砦を出るや雉の聲 蕪村「蕪村句集」
亀山へ通ふ大工やきじの聲 蕪村「蕪村句集」
兀山(はげやま)や何にかくれてきじのこゑ 蕪村「蕪村句集」
むくと起て雉追ふ犬や宝でら 蕪村「蕪村句集」
木瓜の陰に皃類ひ住ムきゞす哉 蕪村「蕪村句集」
きじ啼や草の武藏の八平氏 蕪村「蕪村句集」
きじ鳴や坂を下リのたびやどり 蕪村「蕪村句集」
遅キ日や雉子の下りゐる橋の上 蕪村「蕪村句集」
雉啼くや暮を限りの舟渡し 几菫「晋明集二稿」
雉子の尾の飛さにみたる野風かな 白雄「白雄句集」
雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨「野哭」
https://ka2ka.exblog.jp/23072488/ 【雲雀(ひばり)鳴く中の拍子や雉(きじ)の声 芭蕉】より
松尾芭蕉(Matsuo Bashō, 1644-1694)の45歳(元禄二年、1689年)の作とされるのがタイトルの句。ざっと調べると、芭蕉には雉を詠んだ句が少なくとも三つあり、そのうちの一つ。『猿蓑』所収。季は「三春」。「雲雀」も「雉」も季語なので、いわゆる「季重ね」ともみられるが、一句中に鳥が2種類詠まれているのもめずらしい。ちなみに句意は「ひばりのさえずる春の日、その鳴声に合いの手を入れるように雉子が拍子をつける」。さて、芭蕉によって300年以上も前にどこで詠まれた句なのか定かではないが、このところ近所の多摩川の河川敷では、まさに同句の通り、上空高く囀るヒバリと共演しているかのように鳴くキジの姿が見かけられる。昨日(4/16)の昼過ぎには鳴く瞬間を撮ることができた。
https://kioto-syokai.at.webry.info/201404/article_28.html 【野鳥観察・・・繁殖期を迎えたキジのドラミング】より
京都 野鳥 自然
国鳥のキジが繁殖期を迎えている。里山の一段高いところに陣取って、この時期だけ見ることができる真っ赤な顔になったキジの雄が甲高い鳴き声を上げている。自分の縄張りを主張して強さをアピールする。さてどの雄に雌は惹かれるのだろう。この日は観察した地域では三羽の雄が競い鳴きして羽ばたいていた。京都市内周辺では人通りも多いのでなかなか近寄れないが、今回の撮影ポイントは人も少ないので5m位まで近寄って観察しても大丈夫だった。
http://doubutsu-no-kuni.net/special/episode7/p1.html 【ドラミングの秘密 |】より
ゴリラと言えば、二足で立ちあがってこぶしで胸をたたいている姿を想像しませんか。これはドラミングと呼ばれています。まるでドラム(太鼓)を叩いているように見えるし、音もぽこぽこぽこぽことあたりに響きわたるからです。 でも、実はゴリラはこぶしで叩いてはいません。
よく見ると、手の平で叩いています。人間のドラマーだって太鼓をたたくときは手の平を使います。そのほうがいい音が出せるからです。
叩き方だけでなく、ドラミングは昔から大きな誤解を受けてきました。それは、ドラミングはゴリラが攻撃するときのサインだという考えです。
19世紀の半ばごろに欧米人の探検家がアフリカで初めてゴリラに出会ったとき、勇壮なドラミングを見て肝をつぶし、ゴリラがとても暴力的な生き物だと誤解したのが始まりです。以来、100年以上もの間ゴリラは獰猛な野獣と見なされてきました。1930年代に製作されたキングコングという映画はゴリラがモデルになっていて、薄気味悪い笑いを浮かべて胸を叩きます。
でも20世紀の後半に野生のゴリラの研究が進むと、ドラミングは決して攻撃の前触れでではなく、むしろ相手と戦わずして引き分けるための表現であることがわかってきました。私もゴリラの群れの中で何度もドラミングを目撃しましたが、決して危険を感じることはありませんでした。
胸をたたくとき、オスは慎重にあたりを見回して仲間にぶつからないように気を使っています。人間でも自己主張をしたいとき、机をドンとたたいたり、足をふみならしたり、腕を振り回したりします。ゴリラのドラミングも自己主張のために行われるのです。おとなのオスばかりでなく、まだ1歳になったばかりの子どもから大人のメスまであらゆる性・年齢のゴリラが胸を叩きます。ゴリラは生まれつき負けず嫌いです。胸に太鼓をもっていて、不満を感じるとすぐに胸を叩く。そう考えたら、ゴリラもドラミングも正しく理解できるだろうと思います。