城田実さんコラム第18回「 国軍から見るインドネシア」 (メルマガvol.34より転載)
先月は話題が豊富だった。10月の「時の人」を選ぶとしたら誰だろうか。ジャカルタ州知事に就任したアニス・バスウェダン氏がやはり一番人気だろうか。大統領就任3年を迎え依然として国民満足度が7割を超えるジョコウィ氏も堂々たる有力候補だ。
意表を突いてガトット国軍司令官はどうだろうか。個人的にはこの人を推してみたい気がする。去年から耳目を集める言動がテレビや新聞で頻繁に話題になっている。そもそも国軍司令官という立場の人間がこんなに目立って大丈夫なんだろうかと心配になるくらいだ。ちょっと振り返ってみよう。
昨年の12月に、当時のアホック知事が宗教を侮辱したとイスラム団体が糾弾して行った大規模な抗議集会では、ジョコウィ大統領が急遽デモ隊の前に現れた時の写真が新聞に大きく載った。大統領の横には軍服姿でムスリムが着用する白い帽子を被ったガトット司令官が立っている。ファッションとしてはかなり不恰好だが、デモ隊の歓心を買っているようにしか見えない。彼はイスラム導師を国軍本部に招いて一緒に祈祷することも多いらしい。
この司令官が次に注目されたのは、退役軍人との親睦会で突然、ある政府機関が大量の武器を違法に輸入していると暴露した時だった。これには国家情報庁や国家麻薬対策委員会のトップも事実確認に追われ、内閣で国軍との調整に当たる政治・国防調整相や国防大臣まで事態の沈静化に奔走した。
この騒動に重なるようにしてこの司令官は、共産党によるクーデター未遂とされる9.30事件の映画を地域住民と一緒に見るように全国の部隊に指示した。これには国民から賛否両論が沸騰し、暴力沙汰に発展しそうな険悪な雰囲気すら一部では漂った。
驚いたのは政治国防調整相とか国防相とかの内閣の重鎮が事態の沈静化に走り回っているのに、彼は「我関せず」というか、むしろ挑戦的とも受け取れる言動を続けているようにすら見えたことだ。政治調整相と言えば、彼より国軍士官学校で13期も先輩、しかもスハルト大統領退陣時の国軍司令官兼国防大臣だ。国防大臣も同じく6期先輩でしかも国軍最長老のトリ元副大統領の娘婿という人物である。大学の運動部でももっと先輩に敬意を払うだろうに、やはりこのガトット氏は「時の人」か、少なくとも「話題の人」に選ばれそうなキャラだと思う。
ガトット国軍司令官の物議を醸す一連の言動については、次の大統領選挙に向けた人気取りが目的だと見る人が多い。彼自身も大統領選への関心を表明している。そのことの当否は別にして、この機会に国軍あるいは彼に代表される軍人の意識について少し振り返ってみるのは、今のインドネシアを理解する上であながち無駄ではないと思う。
スハルト時代のインドネシアを経験した人にとって、「ABRI」(当時の国軍の略称)という言葉には特別な響きがある。国軍は、「軍の二重機能」の標語の下で、国防だけでなく政治、経済を含むあらゆる国民生活で指導的な役割を果たしていたから、文字通り「泣く子も黙る」存在だった。スハルト時代には経済は華人系の企業集団が牛耳っていたと一般に見られているが、国軍の巨大な企業集団は並の企業集団を大きく凌ぎ、何よりその特権的な立場は絶対だった。知り合いの軍人などは、国軍は国の予算など当てにしていないとうそぶいていたし、実際に不測の事情で困窮した軍人やその家族には国軍が独自の潤沢な資金で支援していたそうである。
その国軍がスハルト政権の崩壊で「二重機能」を放棄させられ、その後の法改正では国軍ビジネスも全面的に禁止になった。改革の時代への大きな体制変革後も、スハルト時代の他の大企業集団、華人系財閥や国営企業などがその活動を広げている中で、ひとり国軍ビジネスだけが消滅させられた。それに加えて、国防と治安(警察)が組織的に分離したことも大きな打撃だ。治安に絡む非公式な資金ルートも閉ざされたからだ。
「兵舎に戻る」ことになった国軍の立場は大きく低下したが、軍人一人ひとりへの影響もこれに劣らず大きかったことだろう。スハルト時代には、現役中は言うに及ばず、退役後も、閣僚や高級官僚、知事や市長、国会や地方議会の議員、国営・民間企業の役員など、生活と社会的地位は最優先で保障されていた。少なくともスハルト退陣の1998年以前に国軍士官学校に入学した軍人はほぼ例外なくこうした人生設計を描いていただろうと思う。それ以前が恵まれ過ぎていたのは間違いない。国軍トップのガトット司令官は1982年の卒業だから、夢と現実のギャップを感じている現役軍人はまだ多いのではないだろうか。
インドネシアより経済的に進んだ国でも、軍部が直接政治に介入したり、あるいは軍事クーデターのようなニュースをまだ聞くことがある。各国事情は様々だから比較に意味はないが、インドネシアの国軍を取り巻く環境の激変を見るにつけて、インドネシアは大丈夫か、とひょっと気になることがある。
しかし、そんな心配を口に出しても今のこの国では誰も相手にしてくれない。そんな気配は微塵も感じられないし、おそらく国軍も不満はあるにしても武器を市民や政府機関に向ける気など毛頭ないだろう。改めてこんなことを文字にするのも気が引けるほどだ。政治エリートの汚職蔓延やら国の富の9割を国民の1%の金持ちが独占しているとかの非難やら不満は絶えないが、民主的に問題を解決するメカニズムへの信頼が軍人を含めた国民一般に完全に定着しているのだろう。スハルト退陣で軍が一挙に政治を支配するかも知れないと一触即発の危機感が漂ったのは、遠い昔の出来事のような気がするが、まだ20年足らず前の事件だ。(了)