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Slava chto

第14話 ████

2022.03.19 12:30

どうしてフランが生きているのだろう。

この化け物は以前、ユレンと協力して仕留めたはずだ。大量の瓦礫の下敷きになる彼女をたしかに見届けたのに。

「ねえ、まだ生きていたの?」

「……」

案藤が声をかけても、フランはうつむいたまま何も言わなかった。こちらへ向かってくる様子はない。なぜ生きているのかを問いただしたい気持ちもあったが、最優先にすべきはそんなことではない。相手に戦闘の意思がないのだとしたら、今は殲滅の絶対的なチャンスだ。

慎重に銃を構えた。

ここに来る途中で、最後の一発分だけ弾を補充することが叶ったユレンの銃。物資不足で、戦闘のための武器をまともに整えることもままならない。それでも、ないよりはずっとマシだ。

人類の救いになろうとした彼女が託してくれたもの。それに込められた思いを背負うこと。命を懸けたこの戦いに相応しいだろう。

弾は一発限り。使いどころを見誤ってはならない。狙いをよく定めなければ。

ゆっくりと、引き金に手をかける。

頭を撃つつもりで照準を合わせたが……そのときフランが顔を上げた。

ようやく、はっきりと互いの目が合う。

以前と少し雰囲気が変わったとは思っていたが、その眼を案藤はよく知っていた。知っていたくはなかった。

透き通るような、桃色の瞳。

「……な、奈々生?」

フラン生存の事実に加え、彼女の瞳がさらに案藤を困惑させる。

来栖奈々生は、拠点で死んだはずなのに。

彼女がまだ生きているとは考えにくい。それにしても、どういう経緯でフランは来栖と接触したんだろう? どうして彼女の目を、今になってフランが?

案藤にとっての疑問は尽きない。邪悪な魔性の瞳がこちらに向いている。来栖なら、化け物と接触していてもおかしくないとすら思えた。

「っ……!」

銃声が鋭く鳴り、廃墟に反響する。

思わぬ事態に焦りが先行し、思っていたより早く発砲してしまった。

パキ、と、なにかが割れるような音。続いてフランの顔の上で、内原を錯覚させたあの桃色の瞳が粉々に砕け散った。

案藤の撃った弾は、フランの目を見事に撃ち抜いていたのだ。来栖の遺体から奪ったパーツは壊れ、盾の役割を終える。その下から、フラン本来の瞳の色が覗いた。

しまった、と案藤は舌打ちをした。頭をきちんと撃っていれば殺せたかもしれないのに。

残念ながら弾はもうない。他に今手元にある武器といえば、携帯している小型のナイフのみ。これでどう戦うか……。

そこで、案藤は一つの異変を感じ取った。

突然銃弾を撃ち込まれたにも関わらず、フランが一切反撃してこない。それどころか、静かに涙まで流していたのだ。

そのさまは、案藤にとって不気味でならなかった。あれほど人を殺して心の痛まなかった 非道の化け物が、今更何を人間のように悲しむことがある?

みるみるうちに嫌悪感が込み上げてくる。彼女は、自分のしてきたことをわかっていないとでも言うのだろうか。今更被害者ぶったところで、何も変わらない。

「……化け物のくせにどうして泣いてるの?」

案藤は苦虫を噛み潰したような表情で問う。

「……」

「ねえ、どうして?」

再度問われても、フランはうつむいたまま答えなかった。その間もずっと声を押し殺して泣いているようだった。

「……人をたくさん殺しておいて、今更泣くんだね」

冷たく吐き捨てた。案藤には、か弱い人間の少女のようなフランの態度は、こちらを愚弄しているとしか思えなかった。散々他者を苦しめ、大切なものを奪っておいて、自分が悲しいときだけ身勝手に泣くなんて。だから化け物なんか大嫌いなんだ。彼はもはや、腹の底から湧き上がる怒りを隠せずにいた。

態度を取り繕うべき相手も、笑顔を見せて安心させたい相手も、もういない。自分がどんな顔をしようと、目の前の化け物ただ一匹を除いては誰も見ていない。

……そして、それはフランも同じことであった。

たとえ目の前の人間を殺し、身体の一部を奪って強くなっても、美しくなっても……認めてくれる存在はとうに他界している。

案藤がナイフを構える。フランもローザの形見であるナイフを一応握りはしたが、戦う気はどうにも起きなかった。何をしたって、もはや意味のないことだから。

立っているだけのフランへと、案藤は間合いを詰めた。そのまま刃先を振りかぶり、彼女を切り付けようとする。

「っ……!」

とっさにフランは利き足を高く上げ、案藤のナイフを蹴り飛ばした。いくら戦意喪失していようとも、化け物の超人的な身体能力は健在だ。反射神経で生身の人間に負けることはそうそうない。

金属が地面にぶつかる音を立てながら、ナイフは瓦礫の山の中へ消えていった。

これでもう、案藤の手元に扱える武器はなくなった。

フランは一歩後ろに下がり、苛立ちと焦りの混ざった表情をしている案藤との距離を取った。

「……こんなことをして、なんの意味があるの?」

フランはそれ以上危害を加えるつもりはなく、ただ悲しげに問いかけた。

いつものように、刃向かってくる弱き存在として侮蔑している故の発言ではない。心からの疑問だった。その声色には諦めすら滲んでいた。

「あるよ……! だってユレンと約束したんだ。東郷の思いだって背負ってる」

案藤は、そんなフランの思いを知ってか知らずか、睨みつけて言い返した。

「大切な仲間や友達がここまで繋いでくれた道を、僕は閉ざしたくない」

ユレンの言葉を信じている。

東屋の意志を継いで未来に繋げたい。

共に戦ってくれた仲間たちの思いを、ひとつも無碍にしたくはない。


「……そんなことをしたって、その二人は帰ってこないのに」

フランはぽつりと零した。

「無駄なことね……」

彼女はこれまでにも敵対した人間に、同じように「無駄なこと」だと言ってきた。だが、そのときは相手の愚かさや惨めさを見下すつもりでいた。

今の発言は、そうではなかった。自分に対しても含まれるのだ。もういない仲間のために苦しんでいるのはフランも同じだ。今の彼女には、痛いほど案藤の気持ちがわかってしまう。また、彼がこの先で直面することになるであろう感情も。

すべて無駄だったのだ。

それなのに追い求め、過去に縋って、私たちはなんて愚かなのだろう。そう思い、フランは眉を顰めた。

「君なんかにはわからないだろうね」

ユレンの銃を握りしめて、案藤が答えた。ポケットに手を入れ、東屋のドッグタグにも軽く触れる。

大事な人たちがいた。ここにまだ想いがある。会えなくなっても、たしかにあるんだ。


「馬鹿らしいわ」

フランは突き放すように言った。

それは決して、彼の考えを理解できないからではない。むしろ逆だった。

彼女は、信頼していた仲間たちが死んで初めて、大切な人を失う痛みや苦しみを知った。何をもってしても埋められない喪失感。自分を縛り付ける罪悪感。支えを失い、独りきりで暗闇へ落ちていくような感覚。

(……同じなんだ、やっぱり。

私自身も、私がさっき殺した人間も、この人間も……)

こんな世界で心の拠り所をすべて失い、孤独なまま武器を手にすることしかできない。

泣こうが怒ろうが、敵を仕留めようが、そばにいてほしい存在は二度と戻ってこないのだ。


もう、苦しまないでほしい。

そうやって必死になっている目を、こちらに向けないでほしい。案藤が仲間を想う素振りを見せるとき、どうしたって自分と重ねて見ずにはいられなかった。

「……ごめんなさい」

これは懺悔だ。引き返せないところまで間違ってしまった自身の行いを反省するため、せめて目の前の彼を楽にしてあげなければならなかった。

同じ道を歩ませないようにしたかった。

それは謝罪に足りえるだろうか。

彼のためと言いながら、自分のためではないだろうか?

今のフランにそれ以上を考える余裕はなかった。恐怖のせいでも武者震いでもなく震える手で、ナイフをきつく握りしめる。

これで、全部、終わりにしよう。

ヒールで地面を蹴り、再び案藤との距離を縮めた。何も持っていない方の手で彼の腕を強く掴む。抵抗されたがお構いなしだ。乱暴に押さえつけ、そのまま胸のあたりを、一思いに突き刺した。

手のひらに滲む、肉の切れるような不快な感触。案藤が苦痛に小さく呻いた。それから「どうして謝ったの」と掠れた声で呟いた。胸元から鮮血が零れ、地面を赤く染めた。

フランにとって、人間に価値なんてないのに。

これまでは家畜としか思えなかった、見下していた、どうでもよかったはずのちっぽけな存在なのに。

倒れて血を流す彼を目にして、無性に涙が溢れてしまった。彼はきっともうすぐ死ぬだろう。


「……今更、なの?」

地に伏した案藤が、荒い呼吸とともに口を開いた。

その表情は苦しげに歪んではいたが、フランへの軽蔑が混じっている。

「君、さ……やっと、人間の気持ちが……わかった、って……いうの?」

息も絶え絶え吐き出される案藤の言葉に、フランは目を見開いた。否定も肯定もできないで、黙っているしかなかった。

「…………」

「でもね」

案藤は不機嫌そうに口元を歪めた。声と共に口の端からも血が零れる。

「……でもね、君は……やっぱり、化け物、だよ……」

憎々しげに言い捨てられた言葉を最後に、案藤は動かなくなった。

「…………」

フランは、最後までなにも言えなかった。

それからしばらくも、硬直したように、遺体となった彼の前に座り込んでいた。



そのまま数分が経過したころ。

「ごめんね……」

彼の顔を撫でるようにして、目を閉じさせた。軽く頭を下げ、冥福を祈る。

「みんなが待ってるから帰らなきゃ」

それからおもむろに立ち上がり、ふらつく足取りで、元来た礼拝堂へと真っ直ぐに向かう。

周囲は静まり返っていて、フランのヒールの音だけが淡々と闇に響いていた。


どうしてか、涙が溢れて止まらなかった。