【働く天使ママインタビュー】#6 ちぃさん
様々な業界・職種で働く天使ママ達が、どんなことを感じ・悩み、気づきを得て歩んできたか、今まさに歩んでいるのか。働く天使ママの体験談をiKizukuがインタビューしてご紹介します。
今回は、ペリネイタルロスを機に転職という選択をされたちぃさんのエピソードです。
《#6 ちぃさん》
【プロフィール】
ちぃさん(京都在住/30代)
・お仕事:保健師(産業)、経験当時は看護師
・雇用形態:正社員
・ご経験:第一子となる男児(24週)を子宮内胎児死亡で死産。現在一児の母。
・Instagramアカウント:chiisan_hokenshitsu
・facebookアカウント:chiisan_hokenshitsu
・Twitter:chiisan_hokenshitsu
1.あなたのお仕事について教えてください。
企業で働く医療職として、産業保健師をしています。従業員の健康診断の結果から保健指導をしたり、お便りを作成したりと病気予防を目的としています。また、ストレスチェックの実施や病気でお休みをした人の職場復帰支援等メンタル面での支援も担っています。
死産当時は大学病院の血液疾患や悪性腫瘍をメインにした科の病棟勤務(主に入院治療される方の看護)でした。夜勤もあり、抗がん剤(揮発性の薬剤であり健康体には有毒)を1日に何本も扱うような仕事でした。難治性の病気の方が多く、小児~高齢者までの看取りも多かったです。死産後、病院に復帰できず、ジョブチェンジをしています。
2.あなたのご経験について差し支えない範囲で教えてください。
2014年、当時25歳の時に第一子となる男児(24週)を子宮内胎児死亡で死産しました。産後不妊症が判明し、体外授精を二度経験し、現在は育児中です。
第一子妊娠時に重症妊娠悪阻で入院中、心音がとれず子宮内胎児死亡が判明。陣痛誘発の上、3日かかって経膣分娩で出産しました。当時は病棟勤務の若手看護師ということもあり、休み辛く無理して働いていましたが、かなりひどい吐き悪阻になり自分の働く病院の産婦人科に入院しました。
結局吐き悪阻の原因としてストレスを疑い、地元の病院(全くの県外)へ転院して1ヶ月程たって死産となりました。悪阻で3ヶ月入院し、15kg近く痩せてからの出産だったこともあり心身共にかなりきつかったです。
<お休みについて>
3.ご経験後、仕事はどの程度お休みしましたか。
産後休暇8週に加え、精神疾患で傷病休職をとり、計3ヶ月休みました。悪阻の影響で全く水分もとれず日常生活ができないこともあり、産後も食事のトレーニングで10日程入院していました。退院後の産休中に心療内科を受診し、うつ状態等ぼやっとした精神疾患名で診断書を2回発行してもらいました。
4.お休みの間、どのように過ごされていたか教えてください。
<職場復帰・働き方について>
産後は実家にて1ヶ月過ごしました。床上げまではほとんど布団で横になっていました。3週間経過したあたりから、散歩してみたり、映画を見たりして過ごしました。毎日1時間くらいは思い出して泣いていたと思います。1日何度も骨壺をあけてお骨を眺めたり、ネットで同じような経験をされた方を探しました。夫とも会わず、電話やLineで連絡を取り合っていました。
産後休暇2ヶ月のうちの1ヶ月が経過し産後検診を終えて実家から戻りましたが、あと1ヶ月では到底復帰できないメンタルだなと思い心療内科を受診して、お休みの期間を延ばしました。職場復帰して向き合うことになる患者さんの死を昇華する上で、自分のグリーフからの回復ができていないと感じていました。結局、戻れないと判断し、退職して転職しました。
<心療内科の受診について>
心療内科を受診したのは、産後休暇2ヶ月では足りないと感じ、どうすればもう少し休めるか考えたからです。ネットでペリネイタルロス専門の心療内科があることを見つけて受診しました。当時緩和ケア病棟でグリーフケアメインの仕事をしていた為、グリーフの知識があり、自身の状態も客観的に理解しようと意識して対応できていたと思います。今の自分の状態を客観的に専門家に判断してもらうべきだと思っていたので、心療内科や精神科を受診することに抵抗はなく、冷静な他人の力を借りよう、自分に合うところを見つけようと複数受診していました。
5.ご経験後、職場復帰する際に考えたこと、感じたことを教えてください。
産後休暇から傷病休職に切り替えた時の職場の上司の様子を聞いて、心無いことを無神経に言われそうだなと感じ、全く戻れる感じがしないと思いました。全て想像の範囲ですが、なんで育児がないのに休んだの?などと言いそうな人も心当たりがあり、そういう出来事が1回でもあったら耐えられないだろうと、退職して新しい場所で事情を知らない場所で働くことにしました。
産前から長期間休んだこともあり、戻りにくかった気持ちも大きいです。休みはじめた当初は、仕事の迷惑が・・・というよりは日々を死なずに済む方が先決でした。自分も一緒に逝ってしまえばよかったと思っている時もありました。
<転職の理由について>
私の場合、休んで毎日生産性がないことがストレスで辛く、仕事をして忙しくしているほうが良かった為、働くこと自体を辞めるということは考えていませんでした。しかし、病院での仕事にはもう戻れない、人のケアはできないと思った為、急いで新しい職場を探すことにしました。
もともと転職を考えていてやりたい仕事があったので、エージェントの登録はしており、産後休暇後の休職中に転職活動をはじめました。活動期間は約2週間(1社目で終了)です。
面接や書類審査などで、「今なぜ休んでいるのか?」について説明することが多く、死産したエピソードを縁もないかもしれない会社に伝えるのが辛かったです。ただ、新しい職場であれば、妊娠期を知らないので余計な気遣いをされないだろうし、元の職場に戻るよりはマシかな、と思い、転職活動を進めました。淡々と話す私の姿にエージェントの方がびっくりしていたかもしれないです。転職については、同期にも言えず、夫と実両親・姑には相談しました。
死産した息子さんの唯一の写真である家族写真
6.職場復帰後はどのように働いていますか。仕事を含めた過ごし方は変わりましたか?
前職の休職明けと同時に転職し、結局産後3ヶ月程で新しいところで正社員として働き始めました。新しい環境にはやく馴染みたい気持ちとジョブチェンジしたのでプライベートも勉強などに没頭して過ごしました。
フルタイムで忙しい環境でしたが、夜勤のない土日が休みの仕事に変わったので、天使ママのイベント等には参加しやすくなりました。
天使ママのイベントとしては、ピアサポートグループのバルーンリリースのイベントや病院のカウンセリングで紹介してもらったイベントに1回ずつ行きました。お話会等の参加はしておらず、当事者の発信を一方的に聞くスタイルで復帰の成功例みたいなものを探していました。お話し会のスタッフに看護師さんがいる場合、今後同僚になるかも知れないと思うと参加しづらく、また、話すだけの為に遠出するというのは家族の説得も難しかったです。
私の場合、記憶を掘り起こす作業は、現実を突きつけられる感じがして、思い出や記録を沢山残すのは辛いと思っていました。またお別れした我が子に固執したら病気になるのではとも思っていました。なので、手形足形も取りませんでしたし、ぬいぐるみなどもありません。納骨もしました。前を向くためには、思い出にふけって悲しみに向き合うより、しんどいものは手放したいという気持ちがありました。当時の感情を思い出すことはエネルギーを使うことなので。少しの時間で想いを馳せてゆっくり昇華していくことで回復していったのかなと思います。忙しさで哀しみを埋めたいという気持ちもありました。
一方で、思い出を残しているママさんをSNSなどで見て、何もしていないひどい母親という想いもあり、バルーンリリースというイベントに出たということでその想いを打ち消したかったのだと思います。
現在は、前ほどは死産やグリーフ系の本を読みあさることはなくなりました。イベント参加もほとんどなく、自分のグリーフは完了しかけているのかもしれません。
7.ご経験後、働き方やキャリアについて考え方が変わったこと、感じることを教えてください。
自分の体や家族のことなどは、自分で決めるしかないし、情報は自分からつかみにいかないといけないと思いました。完璧主義だったのですが、周囲にできないダメな自分も見せられるようになりました。
働き方やキャリアについては、忙しくしていたい気持ちや自立したい気持ちが大きいのと、産前産後の福利厚生の面も含め正社員がいいなと思いました。
8.職場への連絡や相談の仕方(ご経験、お休みの仕方、体調、働き方などに関して)や連絡・相談後のやり取りについて、大変だったこと・ご自身で工夫したこと・改善してほしいことがあれば教えて下さい。
基本的には自分からいついつ連絡しますと事前に予定をたてるようにしていました。制度のことについて、先に自分でネットで検索したり、知識を得てから、会社へ連絡するようにしました。
転職した時もそうですが、死産したことは隠さず、ただへこむから深く聞くことはしないで欲しいと、「私がどう思うか」までセットで伝えるようにしていました。
積極的にオープンにする必要はないけど、探られることが辛いと思ったからです。「こどもは考えているのか?」「お子さん何人?」等の質問に答える際の葛藤(天使になった子をカウントするか否かの問題)もあり、母親である自分が嘘をつきたくなかったということ、これ以上踏み込まないで、と線を引くことで自分を守っていました。
聞いてきた相手が困ったとしても、困るのは一瞬。自分にとっては嘘をつくことで、引きずると思っていました。誰のための嘘か?ということを考えて、自分だけは子どもの存在を認めよう、隠さず話そう、と思っていました。
実際、死産したことを伝えて軽蔑されたり、見下されたりすることは今までに経験したことはなく、例え「可哀想」と思われたりマウントを取られたと思ったとしても、自分が不幸なわけではないので他人の「○○そう」なんて関係ないと考えています。
9.職場の人との関係について、辛かった・嬉しかった・助かった声掛けや対応、経験前後の変化などがあれば教えて下さい。
申し訳なさもある中での死産報告に、「ああそうなんですね。」とだけ言われたときはへこみました。慰めの言葉を期待していたのかもしれません。退職した職場では、ほとんど人に会わないようにささっとお手紙だけで去りました。退職後プライベートで会う方もいますが・・・。
師長に「ただただ残念で、どうしようもないものね。元気になったらここじゃなくてもいいから、また看護師してね」と声をかけられたのは人として回復を祈っていただけたようで嬉しかったです。
10.ご家族との関係について、ご経験時・お休み期間・職場復帰時・その後の働き方について考える際など、どのようなサポート・やり取りなどがありましたか?
夫は死産がわかってからすぐに10日くらい休んで実家にきてくれました。夫の上司がとても良い人で報告を受けて直ぐに休むようにしてくれました。
家族は産後すぐにつらい気持ちを沢山聞いてくれ、死産後の復帰についてはとめられました。妊娠出産に向いていない職場というのは明らかでしたし、今後妊娠を望んだ時に同様に扱われることが予測できるからというのが理由です。
転職に関しては、焦らずとも前向きになれるなら、良いのではという感じでした。夫は自分の悲しみと向き合わないようにしており、私にもあまり深く悲しみすぎないでほしい(回復できなくなるかもと不安だったそう)と思っていたようで、転職の話はいいのではないかという雰囲気でした。私が忙しくしているのが合う性分なので、傷つかずに且つ死産と向き合わなくてもいい時間を過ごしてほしかったようです。
死産した子の妊娠中のエコー記録を入れていたUSBにつけてたダッフィーちゃん。
<働く天使ママへのメッセージ>
11.同じ働く天使ママ、これから職場復帰する働く天使ママさんへ伝えたいメッセージがありましたらお願いします。
職場復帰は不安と恐怖かもしれません。心無い言葉で傷ついたり、ふとしたときに思い出して業務困難になりそうになることもあるかもしれません。だけど、あなたを支えたいと思う人が必ずいます。心配してくれる人が必ずいます。
自分なりのスピードで復帰したり辞めたり、何事も無理しないことが大事かと思います。自分の感情を正直に表出したり押し殺したりそれら含めて自然なことだと受け入れられれば自ずと進む道が見いだせるかと思います。
私にとって、次の子が欲しいと思い、不妊治療をしようと思ったタイミングが、グリーフから抜け出したタイミングかなと思います。死産後1年は何もせず、次の2年目はそこまで焦らず、3年目に授からなかったことから、不妊治療をしようと思いました。死産した子を思い続ける日々でなく、夫との子に何かをしてあげたいと思いました。子どもが欲しいと想えたことが、自分が死産を乗り越えて進めたと実感できたのだと思います。
ダッフィーちゃんと一緒に行った旅行。