小手鞠るい『早春恋小路上ル』
著者が18才から28才になるまでの出来事を描いた自伝的小説。舞台は70年代から80年代にかけての京都。京都というキーワードに惹かれて手に取ったのだけれども、すごくよかった。現時点での今年一番。
もっとも惹かれたのは、物語を駆動させる小手鞠さんの実直でエネルギッシュな文章と人柄。この小説を読む限り小手鞠さんは頭の回転が速く、アクティブで仕事もできる方なのだろうと思う。しかしそれを鼻にかける描写がひとつもない。自伝的小説やエッセイによくある、自分を貶めることでかえって自慢する、みたいな仕草や、当時の過ちを弁明し現在の自分の体面を整えるような行為もない。描かれるのはとにかく仕事にも恋愛にも愚直な、泥臭い女の子の生き様。あくまで現在からの視点で、過去の気持ちが率直に書かれている。過去の自分を尊重する姿勢から小手鞠さんの実直な性格が浮かび上がって、好きだなあと思った。
小手鞠さんが京都に進学し様々なアルバイトを経て、出版社へ就職、結婚、学習塾へ転職、そして離婚という過程が描かれているのだが、出てくる男性、小手鞠さんのお父さん以外ほぼ全員えげつない。女性蔑視エピソードが、十一章のうちすべてにでてくる。当たり前に人々に馴染んでいた女性蔑視から当時でも非難されていた強烈な女性蔑視まで。いろんなグラデーションがある。特に塾の生徒の父親の言葉は京都人の意地と入り混じり最悪だった。少しだが塾業界と京都の人と関わっていた時があったので、塾にしろ京都の人にしろこの頃からこんな調子だったのかとうっすら絶望する。もちろんみんながみんなそうではないのだけれども。
フェミニズム小説というにはごくごく個人的な物語なのかもしれないけれども、個人の体験から立ち上がる理不尽な社会、そんな社会で自立しようとがむしゃらに行動する主人公は女性に寄り添い鼓舞してくれる。
だからなぜこのタイトルになったのか経緯が気になる。発刊当時はそうでもなかったのかもしれないけれど、大路小路や京都の地名が付くとライト文芸寄りなのかなと予想してしまうし(実際は文体こそリズムがいいが内容はヘビーだ)、そこに「恋」がつくと「路地恋花」に引っ張られてほっこりやさしい感じなのかなと思うし、文庫版の表紙は爽やかで鮮やかな女性の恋物語という感じだし。
この作品は確かに恋を描いているけれども、それ以上に女の人生(自立)の物語であり、恋と仕事を二項対立として描いていないところが大きな魅力なので、タイトルにとらわれず、性別問わず、自分という存在がおぼつかないと思っている人みんなに読んでほしい。
それにしても小説のつくりが本当にしっかりしていて、これが作中に出てくる添削アルバイトの賜物なのだろうなと思った。各章に連載形式に則った太い筋がある。
しかし決まった型=予定調和ではない。お世話になり下宿先まで斡旋してくれた喫茶店のお母さんは後々「次の子に譲りたいから下宿先を出ていってくれ」という。一緒に京都へ出てきた友人は、後に離婚寸前でボロボロになった主人公がかけた電話を「後でかけなおす」と切ってそれきりだった。両者はいずれも序盤に登場し温かみを持って描かれるが、主人公を助けてくれる人物にはならない。人生にはタネも仕掛けも伏線回収もない。
それでもこの話がドラマチックなのは、主人公が自分で考え動いていくから、そしてそのときの出来事や情景や気持ちが率直に描かれているからだと思った。