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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

カノッサの道7-グレゴリオ7世皇帝を破門

2017.11.25 02:17

1075年、グレゴリウス7世は、ローマの司教会議で、皇帝顧問を務める司教5人を聖職売買の咎で破門に処した。皇帝ハインリヒ4世はこれを無視、それどころか新たにミラノなどイタリアの3司教を任命するという対決姿勢。教皇は諸侯に回状を送ると同時に、皇帝に「破門も辞さぬ」との最後通牒を送った。

若い皇帝はこの挑発にひっかかり、ヴォルムスにドイツ司教24人を集めて教皇の廃位を決議。このときの理由がマティルデとの怪しい関係だ。確かに教皇はカノッサに足しげく通い、女伯の離婚を承認、元旦那は2人の関係を公言し、暗殺されていたのだ。

皇帝は北イタリアの司教会議でも教皇廃位を決議し、「偽修道士へ」という表書きで教皇に廃位通告を送った。76年2月22日、仏伊110名の司教会議でこの手紙は読まれ、教皇の思惑通り、怒りの中で皇帝派司教全員の破門、そして皇帝ハインリヒ4世の破門、廃位が決議された。

ドイツ諸侯は待ってましたとばかり、10月トリブールで会議を開催。皇帝の破門を認め、翌2月22日までに教皇が破門を取り消さねば、新皇帝を選出すると決議した。それに合わせ、教皇は2月2日にアウグスブルクで諸侯会議を開催すると宣言。諸侯に信頼されていない皇帝の弱点を突いた鮮やかな戦略。若い皇帝はまんまと罠にかかって絶対絶命のピーンチ!

下はジョバンニ・フランチェスコ・コルネッリ作「教皇グレゴリウス7世とマティルデ」