【麹町①002】祝田町
町番号:麹町①002
町名:祝田町
読み方:いわいだちょう Iwaidachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1967(昭和42)年3月31日
冠称:なし
現町名:千代田区皇居外苑1番
概要:江戸城馬場先門内の幕府役屋敷のあった二ノ曲輪(にのくるわ)内で、町名は太田道灌による江戸城築城前には「祝田村」と称していたという伝承に因む。
江戸初期は松平康重、高木正次、牧野忠成等、徳川家譜代の重臣の屋敷があった。享保年間(1716~1736年)は一時、徳川綱吉の女、竹姫等の屋敷があった。幕末には越後椎谷藩堀氏、出羽山形藩水野氏、遠江相良藩田沼氏、筑後三池藩立花氏、山城淀藩稲葉氏、平岡道弘等の役屋敷の他に諏訪部氏預りの厩があった(切絵図・東京地理志料)。
明治初年には稲葉邸は報恩隊の営所となり、1870(明治3)年からは兵部省所属の近衛営兵舎が置かれた。平岡邸は1869(明治2)年に待詔局、1872(明治5)年から文部省所管の体操伝習所、1875(明治8)年以降は元老院となった。田沼邸と厩は工部省、警視庁等の用地、立花邸は一時民有地となったが、間もなく宮内省に属し、皇居御造営工作場が置かれた(東京地理志料・画報)。
1872(明治5)年、旧村名を採って町として成立。同年の戸数98・人口263(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1967(昭和42)年4月1日、住居表示の実施により、宝田町、元千代田町と合併し、皇居外苑の起立となり消滅。「祝田」の地名は橋名と交差点名に残る。
撮影場所:祝田町