【麹町①015】内幸町
町番号:麹町015
町名:内幸町 一・二丁目
読み方:うちさいわいちょう Uchi-Saiwaichō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:なし
現町名:千代田区内幸町一丁目2~5番、二丁目全域、霞が関一丁目3番
概要:江戸以前は海だった。江戸期は「幸橋内」と呼ばれた地域で、大和郡山藩柳沢邸、石見津和野藩亀井邸、信濃松代藩真田邸、越前勝山藩小笠原邸、美作勝山藩三浦邸、日向飫肥藩伊藤邸等の大名屋敷があった。
1872(明治5)年、起立。町名は幸橋御門の内側にあったことから。同年の戸数43・人口174(府志料)。一丁目には、1871(明治4)~1894(明治27)年まで東京府庁が置かれた。1872(明治5)年、同庁構内官舎で樋口一葉が誕生。また内外国人の社交場である東京倶楽部、大衆紙として一期を画した都新聞社(東京新聞社の前身)、夏目漱石や近松秋江が入院していた胃腸病院があった。二丁目には、貴族院議院・衆議院議院があった。当時の町域は現在の内幸町一丁目2~5番、二丁目全域、霞が関一丁目3番だった。
1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。1938(昭和13)年8月1日、帝都復興計画の一環により、内山下町一丁目を一丁目として編入し、もとの一丁目が二丁目に、もとの二丁目が霞ヶ関三丁目となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1967(昭和42)年4月1日、住居表示の実施により、一丁目全域が(新)一丁目、二丁目奇数番地及び無番地が(新)一丁目に併合され、二丁目偶数番地が(新)二丁目となり、現在に至る。
撮影場所:内幸町一丁目