【麹町①018】外桜田町
町番号:麹町①018
町名:外桜田町
読み方:そとさくらだちょう Soto-Sakuradachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1938(昭和13)年7月31日
冠称:なし
現町名:千代田区霞が関二丁目1番、永田町一丁目2番北
概要:町の北側は「桜田御門外」、南側は「霞ヶ関」と呼ばれていた場所。「外桜田」はもともとは東京湾の入江であったが、文禄年間(1592~1596年)に江戸城西丸造営で生じた大量の残土で埋め立てられ、江戸時代を通じて諸大名の屋敷地となった。慶長年中(1596~1615年)は加藤清正、黒田長政、鍋島直茂、毛利輝元、島津義弘、伊達政宗、上杉景勝等の諸将の屋敷があった(落穂集)。錦絵には、桜田堀沿いの彦根藩井伊邸の赤い門や、井伊邸前にある桜の井戸がよく描かれる。
安政7年3月3日(1860年3月24日)、松平邸長屋下通りにおいて大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起こった地である。なお、井伊邸は現在の憲政記念館の位置にあたる。外桜田町成立以前は、桜田門外の安芸広島藩浅野氏、美濃大垣新田藩戸田氏、豊後杵築藩松平氏上屋敷等の武家地(東京地理志料)であった。
1872(明治5)年、起立。それまでこの界隈の通称であった「外桜田」を採って町名とした。明治期以降は陸軍省の属地となり近衛兵営となったが、のち教導団兵営となり、1931(昭和6)年警視庁舎が造られた。
1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。
1938(昭和13)年8月1日、帝都復興計画の一環により、霞ヶ関一丁目に編入となり消滅。なお、霞ヶ関は1967(昭和42)年4月1日に住居表示の実施により、一~三丁目の各一部が霞が関一丁目に、一・二丁目の各一部が霞が関二丁目に、三丁目の一部と三年町の一部、永田町二丁目の一部が霞が関三丁目に、一~三丁目の各一部と永田町一丁目の大部分、三年町の一部が永田町一丁目に再編された。
撮影場所:外桜田町