『白片つぐつぐ』観劇。
アナログスイッチさん本公演
『白片つぐつぐ』観劇。
1/19(土)夜公演。
2020年12月の『みんなの捨てる家』以来、
2回目ながらも信頼と実績のアナログスイッチさん。
1回しか観ていないのに信頼と実績とか簡単に言っちゃう人間の書く感想なんて信用できないよ、ゆーて。
でも秋本さんの舞台も木幡さんのも小島ちゃんのも忠津ちゃんのも別々ではまぁまぁ見てるけどねゆーて。
わーわーゆーとりますけどもね。
もう引くほどネタバレするので見たくない方はここでさようならです。
花粉症にIHADAのスプレー効かないよって話もありますけど、私は効きますね。
使ったことない方は試す価値はありです。
効かない人ももちろんいます。
この世界の出来事だいたいそうです。
今回もとっても良かった。
最初の何気ない会話が最後のセリフとタイトルに繋がって、劇場を去って家に着くまでの間ずっとこの
『白片つぐつぐ』
というワードの
その言葉の意味が頭をめぐり、余韻に浸るというよりは余韻の中を潜水して帰った感じ。
見終わった後のこの長い余韻はきっと舞台の中のお話と現実の自分の心情や出来事がゆっくり融合していく時間なんだと。
そんなキモめのことを言ってしまったりもする。
「つぐつぐ」というワード自体のポップさがまた、脳内に溶け込みやすい。
溶けやすさはプロテインでもとても重要。今プロテイン関係ないけど。
舞台を観て、
正しく脚本が示したことを受け取れたか。
細かいところに気が付けたのか。
それはそれで必要かもしれないけど、たとえ間違って受け取っていても、裏設定や細かな描写に何ひとつ気が付けなくても、正直個人的にはそれらはあまり重要と思ってはいない。
それを気にしていたら感想なんて書けないし、正しく受け取れなかった事もまた他の誰でもない自分が見た感想らしくてむしろ良い気すらしている。
ただなんとなく自分が好きな、観て良かったと思った舞台には、この見終わった後のさっきまでいた架空の世界と現実の自分がリンクしていく時間が存在するような気がした。
全部がそんなこともないけど。
(けどが多い文章は読みにくいけど)
あと、ひとつ前の"ただ"が何にもかかってないことを謝罪したい。
個性的で且つ個性のジャンルもバラバラな役者さんたちのいるアナログスイッチ劇団員の方々に、今回の舞台に必要なピースを客演の役者さんで見事に固めていて、舞台上で誰が何をしても、すべての瞬間ずっとよかった。
振り返るとそんな気がして。
えー、もう好きじゃんそれぇ。って。
往年のギャル口調になった話をしました。今。うん。
誰かに何かをおススメするのは得意ではなくて、自分がどう思うかしか正確なことはわからないから、自分はよかったけどみんなはどう思うかは知りませんとしか言えないんだけど。
そう。
なんか、
わからないけどなんか
「これはおすすめできるのでは?」
となって。
ツイートしようかと思ったらもう千秋楽直前でやめましたけど。
でも
ツイートを下書き保存するところまでいったのはなかなか稀な出来事で
舞台自体の良さと、たぶん、これだけ良い舞台をやっているにしてはお客さんが少ないような気がしたんでしょう。
柄にもなくこの劇団がこれからも続いて欲しいと思ったんでしょうね。
ただのお客さんでいたい、そういうのには関わらないと思って生きてる自分も。
パンフレットも買ったのだけど今回はあえて読む前に感想を書いています。
読んだあとで何か言いたくなったらまた書けばいいかなと。
でも「ご挨拶」と「二つの質問」は本当は読んでしまった。
「二つの質問」はあまりにも全員がキャラクター通りの回答をしていてとてもおもしろかったです。
あと、秋本さんと同じ佐藤慎哉さんでした。
開演からずっと、砂が降り注ぎ徐々に埋もれていく目の前の白い壺。
照明のあたったその景色はとても綺麗だった。
そこに現れたぎぃ子さん演じるソミン。
ソミンがその壺を救い上げ、この物語のあらすじを話始めるところから始まる。
とても落ち着いていて聞き取りやすい声と心地よい話す速度。
この物語の主軸、浅川巧との関係性、この物語における立ち位置として、
終わってみるとソミンがこの物語のストーリーテラーというのが一番しっくりくる気がした。
冒頭は巧の棺を運び転倒するシーンから。
最初にあえてコメディタッチで始まったところが「この舞台は笑っていいやつですよ」というメッセージを感じた気がしている。
今回のお話は事実に基づいた日本と朝鮮の難しい問題を扱い、差別であったり重たい内容でもあると、観る側もあらすじから感じている分、こうした始まり方がアナログスイッチらしい舞台だった気もした。(2回目の観劇)
今回一番印象的だったのは忠津さんだったな。
好きだったなぁ。
前回のみんなの捨てる家には出ていなかったし、
アレクサと会話しているところしかほとんど知らない。
(本当は王将も観た)
でもなんか今回の忠津さんがあまりにも好きで
「え!忠津さんのお芝居!すごい好きなんだけど!」
ってなってしまった。
柳宗悦が登場してからこの物語が大きく動き出して、
それは柳宗悦という人物もそうだし、忠津勇樹という人そのものもそうだし
柳宗悦と兼子が登場してから空気がブワッと変わった。
柳宗悦の明るさ、勢い、前向きさ、まっすぐさ、憎めなさ、頭の良さ、行動力、熱さ、どれもとても気持ちの良い人で柳宗悦がそこにいる時が一番自分が楽しい気持ちでいた。
最近、切実に暇すぎてこのままだと70歳まで生きたとしても今から残りの時間を過ごすことに大きな不安があり、このままでは本当に暇で死ぬ、医者に「死因は暇だったことですね」て言われてまう。
夢中になれる明日をクラシエばりに探さないといけないと思っている中で、
この柳宗悦や浅川伯教が美術館だったりいろいろな事に尽力し熱中し、目的達成のために生きている姿は今の自分が求めている熱量で。
ここで言う”暇”は何か趣味を見つけるとかテレビゲームや娯楽では満たされない夢中になれる仕事とは違う何かで、
今の自分が欲しているソレを柳宗悦が舞台上にいる間ずっと感じたというのも惹かれたひとつかもしれない。
もちろん浅川巧、ユハや阿川たち、みんながみんな、こうありたい姿に向かって戦っていたけど、特に自分は柳宗悦の熱量やパワーや優しさが好きだったし、忠津さんそのものの上手さとか人柄みたいなものもすごく好きだった。
兼子が柳宗悦にたいして対等かそれ以上に言い合う人だったのもまた、柳宗悦の憎めなさを演出していて良かった。
兼子さんはとても良い身なりでスラッとしたちゃんとした女性だったけど、要所要所おもろびとな一面もあって、柳宗悦と似ている一面もあり、お似合いのお二人でしたな。
浅川伯教は、目の前にいるのはもはや完全にただの渡辺さんなのに全然渡辺さんじゃなくて浅川伯教だったのが地味に脅威を感じる。
伝わらないだろうけど、見た目がただの渡辺さんでしゃべってもまぁまぁ渡辺さんなんだけど、渡辺さんではなくてしっかり浅川伯教っていう、
さっき言ったことを2回言っただけになりました。この度は大変申し訳御座いません。
とんでもなくすごい人なのに全然すごそうに見えない人っているよね。
浅川伯教さんはなんか、まぁまぁまぁ、あなたはたぶんなんか大丈夫でしょう。という感じがして、ほっとける存在だった。これは本当に良い意味。
「ほっとけない存在」は使うことあっても「ほっとける存在」は使わないので、自分でも違和感があるけど、これはそう。
なんだかんだ1人でもなんとかしてくれる安心感があった。
雨宮さんはYoutubeで見たツチノコの何か(2014年らしい)と、コワドラの宇宙人で映像では見たことはあったものの、それを除くと初めましてで
巧さんの妻としてどっしり構えていてとても大きな存在だったみつえの話し方としては、あの雨宮さん独特の淡々とした話し方がすごいハマッてた。
ソミンに家のことを伝えるシーンは、二重三重とみつえとソミンのいろいろな気持ちが重なっていてなんとも言えない気持ちになった。
ボケても周りがボケたのかあんまりわからなくて笑えない感じとかすごくリアルみつえだった。リアルみつえってなに。
藤木さんの藤田はツイキャスなどで見る藤木さんそのものに近かったけど、
この白片つぐつぐのきっかけの壺を割った張本人で
優しく正義感の強い警官。
阿川とは違ってとてもやわらかい人柄。
(阿川も優しく正義感の強い警官ではあるが柔らかくはない)
いじられながらも話しやすく、こういう人の元には情報が自然と集まってくるような、そんな藤田の人間性は、きっと厳しいTHE警官像の阿川に救えないことを救うことができる人だろうと思う。
バラバラになった破片を繋ぐために必要だった存在のひとりでした。
で、前回のみんなの捨てる家の時は木幡さんが出てくるたびに、肩を震わせて笑わせてもらったのだけど、
今回は木幡さんもいないしと肩を震わせることはないかぁと軽く思ったその瞬間、
”阿川の手のひら返し”が起こってしまいましたわ。
肩震わせて笑ってしまいましたわ。
阿川さん、ほんと卑怯ですよあなたね。
そんなん笑うんですよ。
声低くてイケボなの卑怯ですよ。
それでアレはそんなん笑うんですよ。
ハニカムのやめてもらっていいですか。
そんなん笑うので。
いやぁ阿川さんキャラ強すぎでしょ
めっちゃ嫌な人でしたやん。
敵みたいな感じでしたやん。
それがなによまったくぅ
かわいいー
かわいいなぁーーーー阿川さん
ちょっと唇大きいのもかわいいのよもはや
とまぁ、かわいいだけじゃなく
セジンと共に、このお話の中に出てきた日本と朝鮮の関係性をわかりやすく表してくれた2人でしたね。
セジンは態度も考え方も大人ではなかったし、なによりも頭がキレるわけでもリーダーシップがあるわけでもない、たいして何もできないにも関わらず守りたい人たちのために行動できる人。弱いけどとても強い青年で、いい子でした。
齊藤さん(役者さんの方)は初めて見ましたが、他の姿が想像もできないくらいセジンだったので別の場所でどんな姿をするのか興味出てきましたね逆に。
セジンがユハにセンスのないプレゼントをする場面もねぇ
ほっこりPOINT、ほこPO過ぎてねぇ
セジン一生懸命考えたんだね~、かわいいね~
プレゼントってむずかしいよね
あの不器用なセジンが自分のために。ユハ嬉しいよそれは。
そんな感じを向こうからなかなか出してくれなかったもんねー
嬉しいねーユハ、よかったねー
です。(←急に冷静なのこわい)
ユハは、おじさんが好きな若者像という感じがまた小島ちゃんとも一致するのだけど、
年上の人間に気を遣い過ぎず、褒められてもあまり謙遜したりしない、
資金援助をセジンの分もと巧さんを頼ってくれるし、
自分の夢も口にすることができる。
セジンは意志の強さや優しさを持つ反面、人間的に幼稚なところも目立ったけど、
ユハはセジンに足りないところを持っていて、
まぁそれも好きだからこそむしろセジンを補うような能力を高めてきたのではとも思ったりもするが。
兼子から日本行きが難しい話を聞いた場面は、
その時の日本と朝鮮の状況を考えれば簡単に理解できることではあったのに、
めずらしく兼子のことを「嘘つき」呼ばわりしていて、それはユハの日本で歌手になりたい意志の強さと、普段はわりとしっかりしているユハもまだ完全に大人ではないという、なんかそんなところも見れて良かったように思う。
ソミンは自分の気持ちを伝えることができない状況の中で、
みつえが亡くなった後も一番近くで巧を支えた。
けど巧さんは再婚。なかなか大変そうだ。
人生そんなこともあると思うけど、
まぁソミンもなかなか大変だったね。
ここはあえてざっくりの感想しか言えないけど
ソミンは大丈夫でしたかね。うむ。
浅川巧はこの物語の主役であり、この人を中心に話は進んでいるのにこの人を語るのは結構難しい。
おかしなことには加担しない浅川巧に対して、「わかる」というと自分が良い人と言うようだし、出来た人過ぎて逆になんと言っていいかというところもあるのかも。
でも浅川巧の姿を見て、
小さな関係のない話をすると
自分も泣き虫で怖がりでよわよわ人間なのに、昔から無駄に正義感というか間違ったことをやることが苦手なこどもではあったので
小学校のときとか、いじめに加担せず自分のところで菌移しゲームを止めたり、いじめられっ子と普通に遊びに行ったりしてるとカースト上位グループとその周りから除外されたり、自分にだけ別の集合場所教えられたり嫌がらせも受けたりはしたけど
それでも小中高ずっと1人になることはなかったし、むしろどれだけ除外されて逆にいじめられようが友達はいなくなることもなく、
というか嫌なことにノーと言うことでむしろ自分にとって必要な人だけが残ってくれるという体験をしながら生きてきている部分は
みんな大小はあれどあるのでは。
そもそも人と関わることは相手の寿命を奪いとる殺人行為ですから、関わる云々は非常に繊細な部分。
関わると決めた以上は友達でも誰でも大事にしなければいけないのだから、
その人間としての責任を全うする上で合わない人といる時間など無い方がよい。
と考えると、自分の意見を通すのは独りよがりという面もあれど、考え方の違う人の考えに関わらないことで尊重する意味合いもあるのだからと
ねぇ!!マジで今何の話ぃー!!!!!!!何の話してるのぉぉぉ!!!!!!
言いたかったのは、
浅川巧は大きな声で先導し、朝鮮との関係を良好に保とうと大きく動いていたわけではないように見えたわけです。
自分のやりたいようにやっていた。
ひっそりと着実に。
もちろんそれだけではないけど、大きく言うとそれだけ。
その上で周りにたくさんの人が集まり、彼は政府からマークされるほどの影響力を持った。
浅川巧は大きくは日本と朝鮮の関係をよくしたかっただろうけど、その思考を細かく見ればソミンと仲良くしたかったし、ユハとセジンと仲良くしたかった。
逆に誰々とは仲良くしたくなかっただろうし、嫌いなやつもいただろう。
それを「朝鮮人だからだ」と言われない世の中が欲しかった。
俺は国籍関係なくオマエが嫌いなだけなんだよ!と普通に言える世の中を。
知らんけど。
開演前、我々の目の前にあった白い壺。
バラバラになった壺の白片を集め、繋ぎとめ、
再び元のカタチになったツギハギだらけのツボ。
それは、日本と朝鮮の関係性によってバラバラになってしまった彼ら、
そこからまた一つになった彼らの、姿。
冒頭で「焼き物が割れてバラバラになっちゃったら?」の問いかけに「また集めれて繋ぎ合わせれば良いんだよ」と笑顔で軽く、あまりにサラリと言った浅川巧の言葉は、
飄々と言ったあの言葉はきっとその難しさや大変さを知った上での言葉だったんだろう。
人と人がバラバラになった関係を繋ぎ合わせて元に戻すことがどれほど大変かわかっているけど、浅川巧からしたら、その上で何もしないことの方が心が痛く大変な毎日。
どれだけ難しいことかわかっているからこそ、誠意をもって時間をかけてでも一つ一つ信用をまた築いていくしかないという気持ちがあるんだろうし、根本の部分で人を信じている。
鉄拳チンミも「信頼は作るものではなく生まれるものだから。」と笑顔で言っていたな。関係ないけど。
信用されるのにショートカットも裏技も、攻略本もないわ。まぁ当たり前。
浅川巧はよくできた人だった。
センチミリメンタルの「はなしのつづき」という曲の歌詞に
口にしてしまって壊れた
続くはずだった未来を
抱き寄せるようにかき集めた
それは未来じゃなく未練だ
とあって、
それを聞くたび一瞬時間が止まってしまうのだけど
浅川巧は未練じゃなく未来にしたってことだ。
そんなことができる世界線も存在するんだと思うと。
かき集めて
繋ぎ合わせたい白片が
誰にでもあるし
まぁ今日はもう何も書けないけど
なんとも
うむ。
と、
まぁ
うむ、でした。
舞台というのは、
と話を始めると主語がデカすぎるんだけど
今回出てきたお話は、
・日本と朝鮮の話。
・浅川巧とその周辺の人たちのお話。
と明確に閉じた主語がある中で
人間関係ってどうこうだよねなんてことは明確に言ってはないし、勝手にいろいろとこじ付けて拡大解釈をしているのは紛れもなく自分。
逆に日本と朝鮮の関係性や歴史背景を正確に描けているかとか細かいところにはあまり強く重要視して見ていないのもまた自分。
明確な閉じた主語から、どこまでこの主語を拡大させて、どこまで自分の考え方に影響を与えるかは完全にこちら側の話。
それはもう見た自分がどこまで拡大させたいか、させたくないか、なにを感じ取りたいかの話なので、いつも感想を書きながら何かの作品を見てそれの感じ方が個々で違うのは当然だよななどと思ったりもします。
とても良かったと思う人もいれば、
気になるところがあってあんまりだった人もいる。
この世界の出来事だいたいそうです。
だからってIHADAのスプレーが必要な人からそれを奪う権利など必要でない人にはないわけです。
そういうことです。
(どういうことなの)
今回の舞台、会場に入り席に座った瞬間、舞台美術が凄すぎてホントにちょっと笑っちゃいました。
え、駅前劇場に砂あるんやけど。
こんな広かったっけ。
などなど
おまけに美術品は資料館から借りた本物だそうで、軒下まで本当に細部にこだわっていて、この数日間の何回かだけのためにこんなものが作られるなんて意味がわからないというか感動してしまうほどの何かだった。
またアナログスイッチさんが信用を一つ積み上げた日でした。
(画像:小島ちゃんTwitterから引用)
この写真の慎哉さんが往年のグラビアアイドルみたいで好きでした。
じゃあの