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江戸町巡り

【神田①048】岩本町

2017.11.26 09:28

町番号:神田①048

町名:岩本町

読み方:いわもとちょう Iwamotochō

区分:町丁

起立:亨保年間(1716~1735年)

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「神田」。但し、住居表示実施済の岩本町一~三丁目は1965(昭和40)年6月30日まで「神田」

現町名:千代田区岩本町三丁目(一・二丁目は元来の岩本町含まず)

概要:この一帯は古くは沼地で「雁淵」、「笹原」と呼ばれていた(惣鹿子)。沼地がいつ埋め立てられたかは不明だが、享保年間(1716~1735年)以前の一時期、不老山無量寺寿松院があり、間もなく元鳥越に移転、その跡地が松平太郎八の武家地となった(惣鹿子)。岩本町ができたのは享保年間(1716~1736年)のことで『備考』には「岩本町、三ヶ所、一は松枝町続、一は浜松町代地続、一は九軒町代地続」とある。

町名の由来は、駿河台の高台から流れる神田川は砂や小石混じりの須田村を過ぎて、さらに低い当地では岩場が出来ており、「岩場」が「岩本」になったという説、また、上述のとおり当地は「雁淵」と言われていたため、「雁」を思わせる岩淵があり、その「岩の根元」という意味で付けられた等々がある。個人的には、岩井町(後の元岩井町)と関係するのではないかと考えている。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、松枝町続の岩本町は元岩井町へ編入、松枝町続と九軒町代地続地岩本町に小伝馬上町代地・神田九軒町代地・神田紺屋町二丁目横町・道有屋敷の全部と神田富山町二丁目の一部が編入。1872(明治5)年の戸数362・人口1,452(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1881(明治14)年、柳原や富沢町等に散在していた警視庁認可の古着商を集めて常設の古着市場が開かれた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治30年代には組合員数が400名余あり(画報)、現在の岩本町繊維街の基礎となった。1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、東松下町東龍閑町の一部を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。1953(昭和28)年、一部を神田豊島町に編入。

1965(昭和40)年7月1日、住居表示の実施により、一部は現行の岩本町三丁目となり、残余は住居表示未実施のまま残る。

撮影場所:岩本町

撮影地:千代田区岩本町三丁目10番(岩本町馬の水飲広場)

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