【神田①053】金沢町
町番号:神田①053
町名:金沢町
読み方:かなざわちょう Kanazawachō
区分:町丁
起立:1684(天和4)年
廃止:1964(昭和39)年11月30日
冠称:1947(昭和22)年3月15日から1964(昭和39)年11月30日まで「神田」
現町名:千代田区外神田三丁目2~4、11番
概要:明暦の大火前は東本願寺の境内で、その後は加賀金沢藩前田家中屋敷であったが、1683(天和3)年、同邸が移転した跡に湯島一丁目の代地となったもので、町名は前田家に因む(前年の火事の類焼で幕府に屋敷地を没収された)。また一時期、一・二丁目に分けられたこともある。町内の北側を「肴店」といい、中程を「明石長屋」といった。明石長屋は嘗て明石屋吉右衛門という者が住んでいたことによる。また、東隣には養生所付上納地があった(備考)。
武家屋敷のあった当町だが、後に商人や職人の町として発展を続けた。町内には多種多様な店があったようで、1824(文政7)年に書かれた『江戸買物独案内』には、「やけど妙薬」で知られた田村万兵衛、鼻紙袋や煙草入れを扱う津久田屋、瀬戸物問屋である玉川卯兵衛といった商人たちの名前が記載されている。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、大岡豊後守等の武家地を合併。同年の戸数168・人口709。物産に簪・団扇があった(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。
1964(昭和39)年12月1日、住居表示の実施により、外神田三丁目に編入となり消滅。
※千代田区の設置する町名由来板やそれを載せるサイトの当該ページには「ちょう」と読むようにある。しかし、同サイトの「新旧町名対照表(住居表示実施地域)」には「まち」と読むようにある。
撮影場所:金沢町