2022年3月24日
罰が当たる、という話を見聞きすることが少なからずあると思います。
あなたはどういう時に罰が当たるというイメージがありますか。
神聖な場所や物に非礼を働いた時?
自分の利益のために他人を貶めた時?
人それぞれに罰というものへのイメージがあるでしょう。
基本的には、罰の根源は「我」なのです。
「我」については今までも書いてきましたので今回は割愛して、特に注意すべきことを書いていきます。
それは「自己責任を探究する人は罰をもらいやすい」ということです。
人はそれぞれに自己責任の元で生きていく、という話もよくしますが、それを探究するとはどういうことだと思いますか。
判りやすく言えば、自分を責めるということなのです。
失敗することは多かれ少なかれ誰にでもあります。
それを反省する、それ自体は問題ないのですが、いつまでも引きずるようではダメなのです。
これは失敗だった、次は気を付けよう。
とそこで終わればいいのですが、探究する人は自分をダメな人間だとか、何であの時にこうしなかったのかといつまでも自分を責めるような傾向があるのです。
自分で自分を否定する行為、これ自分に罰を与えるのです。
自己責任ということと無縁な人の方が罰に関してはないのです。
ただし、人と人との関わりで生きていくのが社会ですから、社会的にはそれなりの対応がありますよ。
真面目な人の中にはいつまでも自分の失敗に拘る方もいらっしゃいますが、そういう部分が鬱などの形で自分で返ってくると考えてもらえると判りやすいでしょうか。
もちろん、全てがそうだということではありませんけどね。
反省する、それを納豆の糸のようにネバネバといつまでも自分にまとわりつかせるのではなく、スパッと切る感覚を覚えていくといいかと思います。
思い当たる方は、この感覚を身につけていくようにしてはいかがでしょうか。