【神田①085】神田松下町
2017.11.26 11:57
町番号:神田①085
町名:神田松下町
読み方:かんだまつしたちょう Kanda-Matsushitachō
区分:町丁
起立:1697(元禄10)年
廃止:1721(享保6)年
復活:1869(明治2)年
廃止:1934(昭和9)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「神田」
現町名:千代田区内神田一~三丁目
概要:1697(元禄10)年、太田摂津守屋敷、旗本屋敷の上地跡を、御用達商人等が拝領して起立。一~三丁目があった。のち1721(享保6)年、火災で類焼、全域が火除地となり、代地を柳原土手内、神田富山町続、八丁堀新銀町代地続等数ヶ所に与えられた。なお、二・三丁目の南側の町屋は町域北側、鎌倉町続の元地のうちに代地を与えられた。『備考』には松下町一丁目代地、松下町二丁目北側代地、松下町三丁目北側代地、松下町二丁目南側代地、松下町三丁目南側代地が挙げられている。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、各代地とも江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、各代地とも東京府に所属。1869(明治2)年、一丁目代地は、神田元柳原町、東松下町、田代町の新規起立されるそれぞれの一部に編入となり消滅。二丁目北側代地、三丁目北側代地も新規起立される神田松富町に編入となり消滅。そして二丁目南側代地、三丁目南側代地、神田新革屋町が合併し、神田松下町が復活。1872(明治5)年の戸数77・人口316(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。
1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、鎌倉町に編入となり消滅。
撮影場所:神田松下町